展覧会遠征 鳥取編2

 

 さて今年の春の青春18シーズンもこの週末で最後となる。春の最後の遠征先であるが、諸々を考えた結果、鳥取に行くことにした。鳥取周辺と言えば、豊岡−鳥取間、智頭−津山間といった未調査路線が未だに残っている。そこで青春18が使える内にこのあたりをつぶしておこうという考えである・・・ってだんだんと発想が鉄道マニアのようになってきている気が・・・。

 朝一番から姫路に移動すると、まずは播但線で和田山を目指す。播但線に乗車するのは久しぶりであるが、姫路駅の高架化が完成したのでホームが高架上に移動している。播但線の二両編成車両は朝から乗車率が意外と高い。そのままガタゴトと寺前まで。寺前から先は非電化地域になるので、ディーゼル車に乗り換えである。沿線に「播但線の全線電化を」との横断幕が掲げられているが、確かに途中で乗り換えというのは鬱陶しくはある。ただここから先は電化するとなるとトンネルを掘り直す必要がありそうだし、沿線人口も急激に減少するので、なかなか電化工事をするたけのドライビングフォースはなさそうである。なおこの沿線には「世界遺産でない方の銀山」こと生野銀山があるのであるが、生野銀山を観光地として売り込もうとしているのか「銀の馬車道」なるペインティングの車両が走行している。

 銀の馬車道

 和田山に到着するとここでしばらく乗り換え待ち。この路線を以前通ったのは丹後半島に行った時だが、その時も和田山での接続時間の長さにはいささか閉口した(30分以上ある)。時間はあるし、朝食抜きで空腹だし、とりあえず牛肉弁当(1100円)を購入して腹にたたき込む。駅弁としては悪くはないのだが、どうしても同じ牛肉系の弁当だと松阪のものよりは落ちると感じてしまうのがつらい。

 ようやく列車が到着。前回の時もそうだったが満員である(にもかかわらず、何でたったの二両編成なんだろう)。そのまま豊岡まで移動。ここでまたさらに乗り換えになる。山陰本線を移動しているととにかくまいるのがこの乗り換えの多さ。

 今朝4回目の乗り換えを経てようやく城崎温泉に到着。鳥取に直行しても仕方ないので、とりあえず城崎温泉でも立ち寄ってやろうという程度の考えである。城崎温泉は数年前に車で来て以来である。

 生憎の雨のためか、それとも既にカニシーズンを過ぎたためか、城崎の人出はあまり多くないような印象である。ただその方がこちらには好都合。町並みには風情はあるし、五分咲き程度だが桜が綺麗である。まずは温泉地を横切ってロープウェーに乗ることにする。ロープウェー乗り場は温泉街の一番はずれの階段をしばらく上ったところにある。

 

 

 このロープウェーの変わっているところは、ちょうど中間地点に中途駅があること。ここで下車すると温泉寺に行ける。この温泉寺は弘法大師とゆかりの深い寺院であり、彼の手になると言われている千手観音が祀られているという。私もここで途中下車して温泉寺を参拝。さらにここにある城崎美術館に立ち寄る。

 城崎美術館は温泉寺関係の宝物を展示した美術館。私が訪問した時は多くの仏像塑像が展示されていた。

 美術館の見学を終えると、登りのロープウェーに途中乗車、そのまま山上まであがる。山上からは城崎温泉から円山川、遠くは日本海まで仰ぐことができるが、意外と視界は開けていない。しかも山上に登ってみると、レストランと展望台がある程度で特に何があるというわけではない。することがないのでまたすぐに降りてくる。

 一応城崎温泉に来たからには、温泉ぐらいには入っておかないといけないだろう。城崎温泉には「さとの湯」「地蔵湯」「柳湯」「一の湯」「御所の湯」「まんだら湯」「鴻の湯」の7つの外湯があるが、このうち「一の湯」と「御所の湯」は以前に訪問した時に入浴している。また「柳湯」と「まんだら湯」は午後3時にならないと開かないらしい。また「地蔵湯」は設備故障とかで休みだという。となると必然的に「さとの湯」か「鴻の湯」になるのだが、このうち駅のすぐそばにある「さとの湯」はスパ銭みたいととかく評判が悪いようなので、「鴻の湯」に入ることにする。

 鴻の湯

  

さとの湯                 地蔵湯                  柳湯 

  

  一の湯                 御所の湯                 まんだら湯

 城崎の中でも一番奥まったところにあるせいか、客はかなりまばらである。ここの売りは庭園風呂とのことだが、実のところは何の変哲もない露天風呂。なお城崎温泉は源泉が完全に集中管理されているので、実はどこに行ってもお湯は同じ。ここのも比較的ありふれたナトリウム−カリウム−塩化物泉である。当然ながら塩素消毒も使用している。

 歴史のある城崎温泉は名湯として知られている。そもそも昔は人間が入浴するだけのお湯を沸かそうと思えば実に大変なことであった。実際にお湯に入浴するスタイルが定着したのは江戸時代以降と言われており、それまでは日本でも風呂と言えば手軽な蒸し風呂であったという。そんな時代に考えてみると、湧かさなくても地中から高温のお湯が勝手に沸いて出てくるのはまさに驚異であり、そのことだけでも名湯と言われよう。また温湯浴が一般的に困難だった時代には、お湯につかれるだけで病気が治るということもあり得ることであったろう。城崎とか熱海は謂わばそういう時代の名湯だったと思う。しかし現代では地下水をボイラーで湧かしての温泉もどきはどこでも簡単に作れる時代である。自ずと温泉のありがたみも変わってくるというものである。城崎温泉の集中管理・塩素消毒は非常に効率的かつ経済的方法であるが、温泉自体の質を云々される現代においては、明らかに時流から外れてきているのである。この辺りが城崎温泉に対する温泉マニアの評価が低い(と言うか、ほとんど相手にされていないのが実態)理由であろう。

 温泉入浴後は、城崎の名物だという藁細工を展示した城崎麦わら細工伝承館を訪問する。麦わら細工と言っても何もわら人形を作るわけではない。実際は着色した麦わらを使用して非常に細かい模様細工を行うのである。具体的にどのような工程で製作するかをビデオで見てからの方が作品を理解しやすいという係の人の勧めに従ったのだが、これが確かに驚くほどの超絶作業。ただこのビデオを見ずに作品だけを見ても、確かにここまで凄まじいものだと理解することは困難だったろう。非常に勉強になった。

 心の方が充実したところで、今度は腹が減ってきた。お昼に何を食べようかと考えたが、何となくそばが食べたくなってきたので「左京」「出石皿そば」を注文する。実はこの店のメニューはこれしかなく、席についていきなり聞かれるのは「一人前で良いですか」だけ。一人前が薬味付き5皿で、後は好みで皿を追加するという形式。これは典型的な出石そばのお約束である。なお最初は何も入れず、次は薬味を入れ、その次にはとろろを入れ、最後には玉子を入れるというのが出石そばの食べ方の流儀とか。

 出てきたのは紛れもない本格的な出石の皿そば。硬めでややパサッとしたそばの感触も出石そばそのものである。個人的にはこの前食べた越前そばの方が私の好みなのだが、これはこれでうまいので、さらに5皿注文する。

 

 ようやく昼食を終えると駅に舞い戻って鳥取まで移動である。ただし例によって浜坂でまた乗り換える必要がある。沿線風景だが、城崎温泉を出るとすぐに路線は円山川から離れ、しばらくはひたすら山の中を走行することになる。次に海が見えたと思うとそこは竹野である。後は延々とこの調子で海際の山岳地帯を突っ走る(というには速度が遅いが)ことになる。ただ山陰本線は乗り換えの多さもさることながら、これに反対列車の通過待ちが加わるのでとにかく時間がかかるようになっている。

 途中、鎧駅から鉄道マニアと思われる一団が乗車してきたかと思うと、次の余部駅で一斉に大量下車する。かつての余部鉄橋は今は完全に廃止されてしまったのであるが、今でも余部は鉄道マニアの聖地であるようである。ちょうど青春18シーズンで鉄道マニア比率が高いせいか、この路線で一番乗り降りが多かったのはこの駅であった。しかし鉄道マニアではない私はそのまま通過。浜坂へと到着する。

 浜坂では鳥取行きの普通列車に乗り換え。この後は似たような風景が続くが、浜坂までよりは地形的にはやや険しさがなくなる。結局は1時間近くを要して、ようやく鳥取に到着する。

 

 鳥取に到着するとまずはホテルにチェックイン。今回の宿は「スーパーホテル鳥取駅前」。大浴場、朝食付きで安価なホテルということで探したら、ここしかなかったというところ。部屋の照明がやや暗いのが難点だが、後は可もなく不可もなくといったホテルである。

 ホテルに荷物を置くと再び直ちに移動。市内循環バスである「くる梨」に乗ると博物館前まで移動する。形式上ここが本遠征の最大の目的地と言うことになる。


「京の日本画」鳥取県立博物館で5/10まで

 江戸時代から京都画壇は東京とは異なる独自の進化を遂げているが、明治以降も新しい日本画を求めて急進的な改革に走る東京画壇に対し、京都画壇はより穏やかな変革を遂げていた。そのような京都画壇を代表するような画家達の作品を展示した展覧会。展示作品は京都国立近代美術館及び京都市美術館の収蔵品である。

 有名どころの画家が比較的揃っているし、そもそも京都市立美術館の収蔵品が多いので、馴染みどころの作品が結構並んでいる。終盤の現代日本画は完全に蛇足であるが(私にとってはどうでも良い作品が多い)、明治期における作品は興味深いものも多い。また東京では洋画の影響によって横山大観辺りが朦朧体などに走っていた時期、やはり京都においても洋画の影響は顕著に現れていたことなどは面白い。もっともそれも京都画壇全体がそうであるわけでなく、明らかに画家個人によって影響の濃淡がハッキリしているのであるが。


 博物館は鳥取城の敷地内にあり、この辺りは花見場所になっているのか表には縁日なども出ているのだが、あいにくの雨のせいか人通りは全くである。鳥取城は以前に見学しているし、山頂の天守台まで上がるには天気も悪ければ時間も遅いし、何よりも今日はその体力がない(城崎でかなり歩いている)。再び「くる梨」に乗り込むと、まだやや時間が早いが、このまま夕食に向かうことにする

 今日の夕食を摂ることにしたの「海の幸山の幸かぶら亭」である。鳥取の繁華街はずれの温泉地域に近いところにある地産地消を掲げた和食の店である。イワシ好きの私は「イワシ会席(1680円)」というメニューに惹かれたのだが、残念ながらイワシの入荷がなかったとのことなので「なでしこ会席(1980円)」を注文する。

 焼き魚、刺身、天麩羅、小鉢などを組み合わせた普通の御膳なのだが、これが抜群にうまい。魚が特にうまいのは言うまでもないのだが、野菜系も意外なほどにうまい。私は今まで経験則として「地産地消を掲げている店は野菜類がうまい」というものを持っているのだが、これがまたも実証されたことになる。

 料理の段取りのためにやや遅れて茶わん蒸しが登場したが、これがかき混ぜてみると中にエビが入っていてなかなかうれしい。

 そしてとんだ伏兵がデザート。ピンクのアイスクリームなのでイチゴシャーベットかと思っていたら、なんとこれが桜アイス。奇妙な感じなのだが、これが不思議なうまさ。料理はともかくとして、これは完全に意表を突かれた。

 基本的には夜は酒を飲める店であるのだが、明らかに食事の方を重視している店であり、アルコールが全く駄目な私にとっては一番適しているタイプの店。こういう「しっかり食べられるリーズナブルな価格の和食の店」が各地にあればうれしいのだが。

 夕食を堪能して腹がふくれると、後は散歩がてらに鳥取の市街地を歩いてホテルまで戻る。繁華街に今一つ活気が感じられないのは前に来た時の印象のままなのだが、以前に訪問した時よりは鳥取の印象は良くなっていた。城はあるし、路面電車はないものの巡回バスがあり、美味しい和食の店もあればリーズナブルな価格のホテルもあった。だんだんと私の「良い町」の条件に合致してきたようである・・・ってやっぱり私は、美味しいものを食べればその町が気に入るようである。

 ちなみに先の私基準で考えると、条件の揃った良い町は目下のところは松山、広島(もう少し安いホテルが欲しいが)、松江、金沢辺りである。もう少しが益田(交通の便が悪い)、出雲(美味しい店がない)、岡山(良いホテルがない)、山口(美味しい店がない)といったところか。なお前回の遠征で福井の評価も急上昇している。そして評価がかなり低いのはやはり名古屋と東京。大都会は嫌いだが、完全な田舎でも駄目という私の微妙な好みが反映している。ちなみにこれはあくまで独断と偏見だけでのチョイスであるので「なぜ○○がないんだ!」なんて怒らないように(笑)。

 なんてことをボーっと考えつつブラブラ散策、途中で大丸の地下で菓子を仕入れるとホテルに帰ってくる。部屋に戻るとまずは風呂に直行。このホテルの風呂は三朝温泉からお湯を運んでいるとのことだが、三朝温泉はそもそも放射能泉なのでお湯にはあまり顕著な特徴はない。もっとも本来の三朝温泉の実力はやはり現地に行かないと分からないだろう。いずれは一度訪問したいものである(その時はやはり車でだろうな)。

 風呂に入ってゆっくりしたら、早速原稿(これのことだ)の執筆。ただ作業をするのには部屋が少々暗いのが難点である。最近は照明が蛍光灯の明るいホテルも増えてきたが、まだ薄暗いホテルも結構多いのは私には困ったものだ。

 しばし執筆作業を行っていたら、夕食が早すぎたのが祟ってかいささか小腹が空いてきた。そこで付近でまだ営業している店をネットで検索。その結果、ホテルの近くで焼鳥屋があることを発見。早速夜食へと繰り出す。

 私が訪れたのは「やきとり鳥豚(とりとん)」。とりあえず、この店の名物という「どて煮(380円)」と「焼き鳥6本盛り(680円)」「焼きおにぎり(150円)」を注文する。

 どて煮は鳥の皮とこんにゃくを煮込んだもの。これがなかなかにうまい。鳥の皮のこってりした脂がこんにゃくとバランスが良い。焼き鳥はそう特別なものと言うわけではないが、やはりこういう形で焼きたてを食べるとうまい。

 さてホテルに戻って執筆の続き・・・と思ったのだが、腹がふくれると眠気が襲ってきた(笑)。そもそも今日は、城崎市街地ウォーク&鳥取市街地ウォークで2万歩以上歩いている。やはり限界だったんだろう。観念して寝てしまうことにする。

 

 

 翌朝はホテルで朝食をとると早めの出発。まずは鳥取駅から因美線で智頭を目指す。まっすぐ帰るだけではあまりに芸がないので、ここは立ち寄りである。智頭は以前の鳥取訪問の時に通過しただけでその時から少々気になっていたので、この際に宿題を解決しておくことにする。

 

 向かいのホームには安来節ラッピング列車

 車両は私の好きな智頭急行のHOT3500の二両編成。列車は風光明媚な田圃の中を快調に疾走。途中で若桜鉄道との分岐点である郡家を過ぎて、まもなく智頭に到着する。

 

 智頭に降り立つと、観光センターの無料ロッカーにトランクを放り込み、智頭宿を目指す。智頭はかつて智頭街道の宿場町として栄えた歴史がある。早朝の澄んだ空気の中を智頭街道に向かってゆっくりと歩く。智頭は町全体が山に囲まれているようなところである。不思議なことなのだが、こういう森の中の町ではなぜか花粉症が出ないのである。なお目の前に見える山に城の櫓のような建物が見えるのだが、実のところはこれは城でもなんでもない(正体は不明)。もっともかなり切り立った山の上なので、地形的にはここにかつて砦ぐらいはあっても不思議ではないとは思うが。ちなみに智頭の北には河原城というこれまた何の根拠もない城型展望台(いわゆるとんでも天守)があるのだが、これは土地柄か?

 怪しげな天守風建物

 昭和の風情が漂う町並みを過ぎ、智頭街道が近づくと今度は風情が江戸時代にまで戻ってくる。智頭では町並み保存にも取り組んでいるようで、昔の街道宿場町の風情を残す建物が保存されるとともに、最近の建物も美観を損なわないような改良をされているようである。図らずしも最近はこういう町並み保存地区ばかり訪問している気がする。こういう町並みを見ているとつくづく京都は残念なことになってしまっていると感じずにはいられない(あのバカの象徴のような京都駅ビルを除外して考えても)。せめて奈良にはそんなことにはなってもらいたくないものだ。

 

昭和レトロの街並みと桜の名所でもある川縁

 

智頭街道の街並み

 まだ早朝すぎたせいでどこも何も開いていない状況なので、とりあえずはその辺りの神社などを訪ねつつ、智頭街道の散策を行う。街道の一番はずれまで来ると番屋跡なるものがあるのだが、それがまた草ボウボウの崖の上に半分埋もれた石碑が建っているだけというとんでもないところ。ここまで来たところで再び引き返す。

 番屋跡はこの光景

 智頭街道を一往復した頃にはちょうど適当な時間になっていた。まずは石谷家住宅の見学から。石谷家とは智頭地域において林業で財をなした地方の名家である。明治以降も地元の資産家としてこの地域の発展に貢献したとのこと。その石谷家の邸宅が石谷家住宅である。現在は当時の生活を伝える博物館として公開されている。

 

 驚くのはその規模もさることながら、天井の梁の太さ。さすがに林業の町らしく、半端な材を使用していない。現在ではとてもこんな家を建てることは不可能であろう。優れた木造建築の寿命は半永久的などとも言われるが、確かにこの家なら、定期的に手を入れていけば半永久的に持ちそうである。

 

 石谷家住宅を訪問した後は、近くの作り酒屋・諏訪酒造を訪問。ここは「夏子の酒」でも紹介された結構有名な酒蔵とのこと。私はアルコールが全くダメな人間なので酒には興味はないが、ここの中にある「お食事処 梶屋茶屋」では「酒蔵うどん」なるものが食べられるという。炊き込みご飯と組み合わせた「酒蔵うどんセット(850円)」を注文。

 

 酒蔵うどんはは見た目はいわゆるしっぽくうどんだが、出汁に酒粕を使用している。これがまたうまい。正直なところ私は粕汁はそう好きではない人間なのだが、このうどんについては非常にうまい。しかも食べていると体がカッカと暖まってくるのである。うどんがあまりにうまかったので、ついでに「甘酒(350円)」も追加注文。これが麹しか使っていない無添加のものだと言っているのだが、自然の甘みで非常に美味。私が今まで飲んだ甘酒の中でも最上級クラスである。

 うどんで軽く腹を満たした後は、さらに智頭の町並みを散策。やっぱりどこか懐かしい落ち着く町並みである。川では地元の消防団が放水訓練を行っていたが、これがまた風景とマッチしている。その時、町内放送が北朝鮮のロケット発射実験が実行されたことを告げる。合いも変わらずあの国は・・・。指導者がバカな独裁国なんてつくづく救いようがない。全く無粋な話である。もっとも選挙を行って、その結果としてバカな為政者を選んでしまった国もあるのだが・・・。

 駅前までブラブラ帰ってきたが、まだ列車の発車までかなり時間がある。とりあえず駅前の「ラーメン吉芳」で時間をつぶすことにする。注文したのは「生湯葉あんかけラーメン(930円)」

 

 ラーメンと言うよりは中華そばという方が正しい味である。もっとも湯葉はこの味付けの方がマッチするだろう。シコシコとした湯葉の歯ごたえが心地よい。

 さらにデザートを追加注文。驚いたのは豆腐のきな粉黒蜜がけ。ごく普通の豆腐なのだが、こうすると見事なデザートになってしまうのである。甘すぎず、薄すぎずの味のバランスが絶妙。

 昼食第二弾が終了したところで智頭駅に戻る。智頭駅から津山駅までは因美線による移動である。そもそもは陰陽連絡路として位置づけられていた因美線であるが、智頭急行が開通後は智頭急行路線に合わせて高速対応改造が図られている因美線北部に対し、智頭−津山間の因美線南部は明らかに日陰ルートとなってしまっており、存在の意義が問われる状態になってしまっている。今や完全に長距離中継ルートとしての意義を失ってしまって、地方輸送路線としての生き残りを図っている因美線南部の現状を視察しようと思ったわけである。

 車両はこの定番のキハ120である。智頭を発車するや否や、後ろから猛烈な勢いで智頭急のHOT3500が追い上げてくる。以前の旧車ならともかく、キハ120の性能はHOT3500に劣るものではないはずだが、いかんせん線路の方の性能が低すぎる。結局はあっという間に抜き去られてしまったのである。

 

 最初からこの調子で始まった因美線の旅であるが、随所に渡ってこの「線路のスペックの低さ」は痛感させられるのである。というのもこの路線はやたらに細かいカーブが多いので制限速度が低く、カープになると30キロ以下ぐらいまで速度が下がり、ひどいところになると15キロというカープも少なくない。もうこうなると自動車より遅いというレベルではなく、自転車にもぶっちぎられる速度である。そのために距離の割にとにかく時間がかかるのがこの路線である。

 沿線については山間の田園風景など実に風光明媚なのであるが、裏を返せばそれは沿線人口が絶望的なまでに少ないことを意味しており、地方輸送路線としてさえ存続が可能であるのかという疑問を抱かせてしまうのである。

 列車が三浦駅に近づき始めた頃から、車内の鉄道マニアらしき面々の動きが激しくなる。どうやら三浦駅は駅舎周辺に桜の木が多く、風景が絵になるようである。中の一人は、桜のトンネルの中を走り抜けるキハ120の姿を撮影するために、この駅で降車していた。やはりマイナー路線だけにかなりの強者も出没するようだ。鉄道マニアではない私はそのまま乗り続けるが、やがて東津山で姫新線と合流、そのまま終点の津山に到着する。

 三浦駅は桜のトンネル

 先にも述べたように因美線南部に関しては明るい未来図は全く描けなかった。智頭急行線が存在する以上、高速化の投資を行うべき理由も見あたらないし、沿線人口を考えると地域輸送路線としてもどこまで持ちこたえられるか。それにそもそも現在の超閑散ダイヤでは、利用しようにも不便で利用できないだろうし。沿線にもこれと言った観光資源もなさそうだし、残念ながら将来はかなり暗い。

 津山駅に到着するや、津山線快速を待つ大量の乗客に唖然とする。花見シーズンのためか、異常に行楽客が多いようである。私は津山駅には何度か来ているが、この駅がこんなに人であふれかえっているのを見たのは初めてである。その影響は私の乗車した佐用行き普通列車にも及んでいた。単両編成のキハ120の車内は満員で乗車率にすると200%を越えているような状態。こんな体験も初めてである。

 そのまま列車は佐用につくと、ここで乗り換え。ホームに待っていたのは播磨新宮行きのキハ122。姫新線では兵庫県などの出資によって高速化工事を進めており、それに応じて新型車両としてキハ122とキハ127が投入されたという。そのうち、キハ127は2両編成で運行されるための車両で、キハ122は単両で運行可能な車両である。

  キハ122は満員

 外観は関西圏で運行されている223系電車と見紛うようなスタイルであり、ディーゼル車のイメージを一新している。しかし驚いたのは車両だけではなかった。明らかに路盤が強化されており、カーブも付け変えたりバンクをつけたりなどの高速化対応がなされており、数年前に乗車した時とは全く別物と言って良いぐらいに速度がアップしてていたことである。従来の鈍重な路線のイメージは完全に一新され、明らかに新時代を迎えていると感じた。このような高速化が効を奏したのか、竜野地域のベッドタウン化も進行しているようであるし、乗客数も増加しているようである。

 

デザインはほとんど同じだが、こちらは二両編成のキハ127

 以前はディーゼル車と言えば「臭い、うるさい、遅い」と難点が多かったのだが、現在はスーパーはくとやN2000系が高速で突っ走っていることに見られるように、新型ディーゼル車両では速度面でのハンデはほとんどなくなった。また排ガス対策に取り組むことで、以前のような臭い煙をモクモク吐くこともなくなっている。今や地方路線においては非電化でのデメリットはほとんどなくなってきていると感じられる。私は「地方鉄道路線での最大のポイントは、電化ではなくて高速化」と唱えているのだが、姫新線において明らかにそのことが証明されている。高速化による利便性の向上→運転の多頻度化で更なる利便性向上及び利用者の増大→複線化による更なる利便性向上と乗客増というのが地方路線のあるべき姿だろう。そのような地方交通網の再生により、現状の車依存社会を変えていくというのが、今後の社会の鍵となろう。

 以上の事実から鑑みて、「21世紀の地域振興と交通について考える市民の会」の将来のあるべき交通形態に関する主提言は、ディーゼル高速交通網による地方路線と、LRTによる都市交通を組み合わせたものというグランドデザインが見えてきたように思われる。これに東京解体を伴う地方中核都市構想を組み合わせると、これからのあるべき日本の姿が見えてくるというものである。ただし、国がこういう政策を掲げるとトヨタ様が猛反対しそうだし、どこかのテレビ局がこういう構想を掲げると、トヨタの奥田守銭奴会長あたりが「CMを撤退する」と圧力をかけるだろう。社会の権力構造を一新しないと実現は難しそうである。

 

 戻る