展覧会遠征 広島・福山編

 

 2月に突入してから見事に体調を崩してしまい、ほとんど1ヶ月は寝っぱなしの状態になってしまった。ようよう社会復帰を果たしたのがつい先日、気がつけば青春18シーズンに既に突入してしまっていた。1ヶ月寝込んでしまったために当然のようにこの期間の遠征計画は壊滅状態になってしまっている。まずはこの壊滅状態の遠征計画の再構成から始まることとなったのである。

 とは言うものの、昨今の不況は私の経済状態にも芳しからぬ影響を与えている上、先日には高速道路上で公営暴力団に突然に上納金を要求されるという羽目に陥り、資金は完全に不足している。となると必然的に青春18切符を最大限に利用した遠征にならざるを得ない。で、その貧乏遠征計画第一弾は広島遠征ということに相成った次第。本来の遠征計画は自動車を利用した一泊プランという比較的リッチなものだったのだが、それが日程変更と資金不足の結果、在来線を利用した日帰りプランという超ハードスケジュールとなってしまったのである。

 当日はまずは早朝から岡山方面を目指す。ただし岡山まで行ってしまわずに万富で途中下車、ここで徳山行きのシティライナーを待つ。

 数分後にシティライナーは到着するが、車両を見た途端に思わずため息が出る。到着したのは山陽線方面での最悪列車との呼び声も高いシートピッチ非改造の115系である。狭くて固いというこの車両の最悪シートでこれからの長旅に臨むのかと考えると気が重くなる。ちなみに来週のダイヤ改正によって岡山管区と広島管区の運行がきっちりと糸崎で分けられるようになることから、今後はこの万富発のシティライナーは廃止されるとのことである。

 

 岡山を過ぎると後はひたすら退屈な鈍行の旅である。途中でうつらうつらしながらボーッと過ごすことしばし、ようやく三原に到着。ここで呉線と分岐する。

 ここからは山陽本線は山側ルートだが、車内が本格的に混雑し始める。この区間は乗り降りがかなり多いようだ。小早川隆元が築いたという新高山城の跡を仰いだり、広島空港アクセス用の道路建設現場(とんでもなく高い位置にある)などを眺めながら時をつぶすことしばし、ようやく広島に到着である。

 

山まるごとが要塞だった新高山城跡と空港アクセス道路のとんでもない橋桁

 広島に到着した頃にはかなり疲労も溜まっている。まずは腹ごしらえからすることにする。駅ビルの2階、お好み焼き屋が連なる奥にあるラーメン屋「尾道らーめん三公」で昼食とする。注文したのは「尾道ラーメン半炒飯付(780円)」

 

 ラーメンは意外と本格的である。尾道ラーメンの特徴である魚の出汁が非常に効いている。スープがやや濃厚であるためか、麺は固めの細麺を組み合わせている。ただ麺の選択はこれでも悪くはないのだが、やはり博多豚骨ラーメンではないのだから、もっと太めのもっちり系の麺でも良いように思われる。なお炒飯についは平凡。やや油が良くないように感じられたのがマイナス。

 さて昼食を終えたところで美術館に移動である。実のところはここが本遠征の最大の目的地であり、わざわざこれだけのために広島まで来たようなものである。


「よみがえる黄金文明展 ブルガリアに眠る古代トラキアの秘宝」広島県立美術館で3/31まで

 

 古代ギリシア時代、バルカン半島に展開した独自の文化が古代トラキア文明である。勇猛果敢な騎馬民族として知られ、トロイ戦争ではトロイ側に協力して参加したとの文献記録も残っており、強力な勢力を築いていたとされている。近年になって、ブルガリアに措いてトラキア文明に関する発掘品が大量に発見されており、その中でも世紀の大発見であった「トラキア王の黄金マスク」を始めとして、多くの秘宝が今回出展されている。

 黄金マスクについては、黄金文明と呼ばれるに違わない圧倒的な迫力があるが、これ以外の展示物についてもとにかく黄金装飾の類が多いことに驚かされる。また造形についてはかなりギリシアのものに類似したところがあるが、歩兵中心のギリシアに対して、トラキアは騎馬民族であったため、馬にまつわる装飾が多いなど、造形においても微妙な違いをもたらしている。

 またトラキア人は「死は生の苦しみからの解放」と捉える死生観をしていたとのことで、死に対して否定的な暗い捉え方をしていないというのも特徴的。この辺りも文化としては興味深いところである。もっとも間違ってもこういう連中を敵にしたくはないが。


 なかなかに圧倒される展示であった。やはりこれだけのためにでも広島に来た価値はあったと思われる展覧会だった。こういうのがあるから展覧会巡りをやめられないんだよな・・・。

 

 遠征の主目的を終えたところでただちに移動にかかる。帰宅がてらに次の目的地へ移動である。ただしその前に一カ所立ち寄るところがある。途中の瀬野駅で下車する。

 瀬野で下車したのは「21世紀の地域振興と交通について考える市民の会代表(自称)」としてのサークル活動の一環である。実は瀬野駅周辺では広島のベッドタウンとして、みどり台という新興住宅地開発が進んでいるのだが、高台の上にあるその住宅地とのアクセスのために、スカイレールという独自の交通システムを導入しているという。その新交通システムの視察が目的である。

 

 スカイレールの駅は瀬野駅に隣接している。なお料金は均一料金で150円。そのために自動改札では切符は帰ってこずに直ちに回収されるシステムとなっている。

 

ゴンドラの内外風景 モノレールの構造になっている

 スカイレールのシステムはロープウェイとモノレールを織り交ぜたようなもの。レールを挟み込んだ台車からゴンドラがぶら下がっている形式となっている。路線がかなり急斜面なので、とにかく傾斜に強いシステムが必要である。傾斜に強いと言えばロープウェイかケーブルカーだが、いずれも路線を直線的に引く必要があるし、特に前者は風に弱いという欠点がある。そこでこれらのシステムよりは設置費はやや高価になると思われるが、現行システムを導入したのだろう。なおこの車両は、鉄道友の会が優れた車両に与えるローレル賞を受賞しており、それを示すプレートも設置されている。

  車内には燦然と飾られたローレル賞のエンブレムが

 ゴンドラの座席定員は8名だが、乗車定員は25名まで可能な模様。乗車感覚はロープウェイにかなり近く、モノレールよりはよく揺れる印象。なお運行は無人で行われており、運行コストを徹底して低減していることがうかがえるが、利用者の方が週末の昼間のせいかほとんどなし。大丈夫だろうか。

 

終点のみどり中央駅と上から見たみどり口駅 かなりの傾斜とカーブがある路線だ

 瀬野駅に隣接したみどり口駅から、終点のみどり中央までの所要時間は5分程度。終点のみどり中央はごくありふれた新興住宅地のど真ん中で特に何があるわけでもない。そこですぐにそのまま折り返してくる。

 瀬野駅に戻ってくると福山まで移動である。途中の糸崎で乗り換えがあったりとこれが結構長い道のり。尾道では線路の北側に城の天守閣らしきものが見えるが、これは尾道城。ただしこの地には城があったという歴史的事実は皆無であり、いわゆる史実とは全く無関係の「とんでも天守」である。元々は博物館だったとのことだが、現在は閉鎖されて完全に廃墟になっているという。

 尾道城のとんでも天守

 怪しげな天守をやり過ごして、やがて一応は歴史的な背景がある天守が見えてくると、そこは福山である。福山については今まで何度となく訪問しているのだが、その割にはふくやま美術館しか訪問したことがない。そこで今回はもっとじっくりと福山を攻略しようという考えである。

 福山城を駅から望む

 まずは駅から目の前に見えている福山城を見学することにする。福山城は日本100名城にもカウントされているにも関わらず、なぜか私は今まで一度も訪問していないのである。

 とりあえず南方向から石垣を登る。本来の福山城はこちらが正面で、かつては大手門などもあったようだが、JRが当時の堀の位置に引かれたことでこの辺りの遺構は完全に消滅してしまっている。ただ櫓などが復元されており、往事の姿を忍ぶことができるようになっている。

 南側の見事な石垣

 

重要文化財の筋鉄御門と伏見櫓(現存)

 

復元された湯殿と月見櫓

 こちらは鐘楼

 本丸御殿は残っておらず、当時の遺構は筋鉄御門と伏見櫓が残るのみだ。風格のある建物だが、残念ながら内部の見学はできない。また天守については戦前までは残存していたのだが、やはりご多分に漏れず、あのアホな戦争で焼失してしまって、今は鉄筋コンクリートによる外観復元である。例のごとく中身は博物館というパターンであるが、外から見る分にはなかなかに立派である。

 天守最上階からは福山市街を一望できる。昔は高いビルなどないから、ここから攻め手の軍勢の配置は一目瞭然であったろう。こういう風景を眺めると、天守の軍事施設としての意味がよく理解できる。

 天守内部を見学すると、今度は北側に抜けてみる。福山城は南部が高石垣と堀でかなり堅固であるのに対し、北部は丘陵地帯につながっており、明らかに防御が弱い。かつてはこの部分にも石垣などの防御施設はあったようだが、それでも南側に比べると格段に防御力が劣ることは否定できないようである。このため、以前の天守閣では防御力強化のために北側面には鉄板が貼られていたとの話がある(銃弾に備えるためだろう)が、今日の復元天守ではそこまでは復元されてはいない。なお現在は天守から北側へはゆるい下り坂で簡単に降りることができる。

 城の北部に抜けたところで、美術館に立ち寄ることにする。ここは存在は以前より知っていたにも関わらず、なぜか今まで立ち寄ることがなかった施設である。


しぶや美術館

 

 コレクターの澁谷昇氏のコレクションを元に、彼の邸宅を改修して美術館として公開しているとのこと。確かに南側の入り口から入ると、普通の屋敷であることが分かる。なお最近になって北側に近代的な新館を増築しており、主展示はこちらに移っている。

 所蔵品では小林和作の作品が中心。ただしこれ以外の作品も多数有り。現地にゆかりのある画家からそうでない画家まで日本画家の作品を多く所蔵している。

 ただ小林和作の作品については、サクッと描いている彼の作品は明らかに私の好みに合致しない。だがこれ以外の展示品についてかなり楽しめた。


 しぶや美術館の見学を終えると再び城の方向へと引き返す。今回の遠征の第二目的であるふくやま美術館に立ち寄るためである。 


「没後25年 大村廣陽展」ふくやま美術館で3/8終了

 

 大村廣陽は福山出身の日本画家で、竹内栖鳳に師事し、京都画壇で活躍したという。彼の作品をその学生期から晩年に至るまで展示したのが本展である。

 竹内栖鳳に師事したというだけあり、さすがに動物の絵がうまいというのが最初の印象。一般に日本画は花鳥画と言われるが、彼の場合は花鳥と言うよりも動物画である。そこには卓越した観察眼に基づく高い写実力がうかがわれる。

 ただあの戦後に大きく作風が変化する芸術家は少なくないが、写実中心だった彼の画風もこの時期に一変する。それまでの日本画の伝統に基づいた作風から、岩絵の具を厚塗りした油絵的ないわゆる「現代日本画」に一気に変貌を遂げるのである。ただその作品は幻想的ではあるが、あくまで具象の域ははみ出しておらず、彼の従来の作風に見られた独特の透明感も引き継がれているので、違和感を感じるものではない。

 一人の日本画家の変遷を、日本画自体が遂げてきた変遷と重ねて見てみるのも面白いところであると感じられた。


 これで本日の予定は完全終了である。後は在来線での帰宅への長い道のりのみである。正直なところかなり疲れはしたが、特急や新幹線といった堕落した交通機関を使っていた昨今からすれば良い「リハビリ」であるかもしれない。

 

 

 戻る