展覧会遠征 山口編

 

 さて本年度は中国方面強化年間?になっているのであるが、年の瀬も押し迫ったこの時、いよいよその総決算的な遠征に出かけることにした。思えばこの数ヶ月、仕事の方がかなり立て込んでおり、精神的にもかなりきつい状態だった。しかしようやく仕事納めもめどが立ち、ボーナスも入って若干懐に余裕ができたこともあり、ここは一つ来年に向けて一大気分転換をしようと考えた次第。つまり今回の遠征の主旨は、よくいう「自分にご褒美」である。また昨今の不況で日本国内が萎縮ムードにあることから、ここらで少しでも内需拡大に貢献しておこうかという深遠なる意図もある(ホントか?)

 

 まずは新幹線で新山口まで移動である。青春18シーズンだけにこの切符を最大限に利用したいところではあるが、さすがに普通列車で下関まで行っているとそれだけで一日かかってしまう。これだと何のことやら分からないので、現実的妥協というものである。例によってエクスプレス予約でチケットを確保。ひかりRailStarに乗車するのは久しぶりだが、2+2シートの指定席はかなり快適。これに比べるとJR東海ののぞみなんてぼったくりにしか思えない。

 山陽新幹線はとにかくトンネルの多いことで知られているが、広島以西はまさにトンネルの連続で、たまに息継ぎのようにトンネルから顔を出すだけというような状況になる。やがて辺りの山がいかにも石灰岩であることが分かるような光景が見えてくると新山口に到着である。

 今日のまず第一の目的は新下関で観光列車「みすゞ潮彩」に乗車することである。それならなぜわざわざ新山口で途中下車をするかだが、これには理由がある。まず第一は言うまでもなく少しでも新幹線代を節約するため。もう一つは新山口以西の山陽本線はまだ視察していないことである。鉄道マニアではない(はずの)私であるが、やはり未調査路線については調査しておくのは「21世紀の地域振興と交通について考える市民の会代表(自称)」のサークル活動としては重要である。

 新山口で在来線ホームに移動すると、下関行きの普通列車に乗り換える。車両は岡山地域で快速サンライナーにも投入されていることからこの地域でよく見る117系である。115系の向かいと膝がつきつきになる狭いボックスシートと違って、117系の転換クロスシートはありがたい。この地域では未だにあの悪名高いボックスシートの115系を見かけるが、早くシート改造か廃車にしてもらいたいものだ。

 

 この辺りは山陽本線沿線と言ってもそんなに民家が密集しているわけではなく、むしろ閑散とした地域が多い。また周辺が石灰石の山ばかりなので、各地にセメント工場があり、そのセメントを運び出すために敷設された支線が非常に多い。宇部線が出ている宇部を過ぎ、小野田線が出ている小野田を越え、厚狭に到着する。ここは新幹線停車駅にもかかわらず駅の周辺に何もない。駅前の閑散さは相生といい勝負である。なおここからは美祢線が出ている。

 厚狭を過ぎたところで遠くから「みすゞ潮彩」が向かってくるのが見える。「みすゞ潮彩」は新下関発だが、新下関では折り返せないので一端通り過ぎてから戻ってくるらしい。私の乗車した普通列車は間もなく新下関に到着、ここで下車すると「みすゞ潮彩」乗車ホームに移動、列車の到着を待つ。待つこと10分程度でホームに「みすゞ潮彩」が到着する。

 

 この列車は海側に大きな窓が配置されており、すべての座席がその窓の方向に向かっている形になっている。偶数の座席番号が前列、奇数が後列になっている。ただ座席の位置と窓の位置が微妙にずれているので、座席によっては目の前に壁がなんてこともあり得る。目の前に大きな窓が広がるお勧めの座席は12番か16番である。私は指定券の発売日に16番を指名買いしており、予定通り目の前に広々とした窓が広がる。一番心配していたのは天候だったのだが、幸いにして好天。やはり日頃の行いの良さがこういう時に現れるのだろう(笑)。

 下関駅には金子みすずのイラストが

 列車は一旦下関まで移動、そこで多くの乗客を乗せて折り返し、幡生駅からいよいよ山陰線へと入り込む。と言っても最初は市街地をひたすら走行しているだけ。むしろ山陽本線沿いよりも家が多いんじゃないかと思えるぐらい。

 とりあえず風景に見るべきものがないうちに早めの昼食をすませておくことにする。というのも、今朝は朝食も摂らずに直行してきたので、そろそろ空腹が限界に来ていたのだ。昼食は車内で買い求めた「みすゞ潮彩弁当(950円)」。いろいろなおかずを組み合わせた典型的な幕の内弁当だが、ご飯がすし飯なのが一つの特徴か。オーソドックスな弁当なのだが、なかなかに美味。空腹だったこともあって一気に平らげてしまう。

 

 昼食を終えた後は、最近愛用しているキングジムのポメラで早速旅行記の執筆。しかし結構車両が揺れるせいでかなり目にきつい。それで原稿打ちは途中であきらめてぼんやりと窓の外を眺める。

 私が愛用しているポメラ

 やがて海が見えてくるが、水平線がはっきりと見える。以前は水平線を見ると恐怖感を感じることが多かったのだが、不思議なことに今日はそういう感覚は起こらず、単純に風景を楽しむことができた。列車は眺望名所に来ると数分間の停車をして風景を楽しませてくれる。この辺りは以前に乗車したタンゴ鉄道の「タンゴ悠遊号」に近い。偉大なるローカル線とも呼ばれる山陰本線だが、山陽本線が意外と内陸部を走行しているのに対し、山陰本線の西部は海沿いを走る経路が多いので、やはり観光乗車の場合は圧倒的におもしろい。

 

 長門市が近づいてきた辺りで鉄道の経路が内陸部になる。すると風景に見るべきものがなくなったこのタイミングに合わせて、車内では観光ガイドによる紙芝居が始まるという仕掛け。出し物は地元出身の童謡詩人でこの列車のネーミングの由来ともなっている金子みすずの生涯について。金子みすずは若くして文才を発揮、最初は雑誌に対する投稿で始まった詩作で名をあげ、一時は与謝野晶子とならんで名をあげられるところまで行く。しかしことわり切れずに結婚した旦那が化石のような人物で、「女だてらに」という今発言するとそれだけで大問題になって田嶋女史が飛んできそうな理由で詩作を禁じられ、あげくは難病になった上に、離婚の際に生き甲斐だった一人娘を奪われることになり(当時は離婚時の親権は父親にあった)、26歳の若さで自殺したという男尊女卑時代の悲劇の詩人である。最近までその存在は半ば忘れられていたというが、近年になって再評価の機運が盛り上がってきたらしい。

 ところで未だにこの男尊女卑時代を理想と考える輩が、概して情けない男に多いという。しかし彼らは、男尊女卑の裏側では、男に一人で家族を養っていけるだけの甲斐性が求められるという事実だけは都合よく無視するそうな。

 列車はやがて長門市に到着。ここで多くの乗客が益田方面行きの山陰線列車に乗り換えるが、みすゞ潮彩自身はここから支線に入って一駅先の仙崎まで運行される。仙崎には金子みすず記念館などがあり、観光に力を入れている模様。とは言うものの、残念ながら今回は仙崎を回っている時間的余裕はないし、運行列車本数も極端に少ないことから、「みすゞ潮彩」の自由席に移動してそのまま長門市まで折り返してくる。

 

 今日のとりあえずの目的地は下関であるから、このまま「みすゞ潮彩」で引き返すという手もあるのだが、それではあまりに工夫がなさすぎる。長門市からは未調査路線である美祢線があるので、これで厚狭まで移動することにする。

 美祢線は単線非電化路線である。車両はこの辺りの非電化路線では定番のキハ120型のワンマン単両運転。ただし内部はセミクロスシートのタイプではなく、全席ロングシートのタイプである。乗客も20人程度と比較的多く、これがロングシートの理由か。

 

 山陰本線と異なり、こちらはひたすら山の中を走行する路線。とにかく沿線人口が少ないのが気になるのはこの地域の山間ローカル線に共通の問題。乗客はそれなりにいるのだが、そのうちの6割ぐらいは厚狭まで乗り続けで、この路線の主要な役割が陰陽連絡にあることは間違いなさそうだ。

 やがて家が少し増えてきたと思ったら厚狭に到着。驚くことだが、新幹線方面から到着した時にはとんでもな田舎に見えた厚狭が、美祢線経由でくると都会に見える。これがいわゆるローカル線効果というもので、比較対象から来る錯覚である。これは心理学的には、少しマシな顔の芸人が自分をイケメンと勘違いするのと同じである。

 ここから下関方面に向けて移動だが、なんと在来線だと1時間近く列車がない。JR西日本の陰謀を確信しながら、やむなく一駅だけこだまで移動する。

 新下関で下車するとバスに乗り換え、実はここが本来の目的地である。

 下関ではバスのシートまでふぐ


下関市立美術館

 私が訪問した時には所蔵作品展を開催中。内容は「狩野派の絵師たち」と「岸田劉生と大正・昭和の絵画」。

 江戸幕府の御用画家であった狩野派は、江戸時代に隆盛を極め、幕府御用だけでなく多くの大名家にも御用絵師として仕えていたという。本展で展示されているのもそれらの画家達の絵。完成度は高いのだが、この時代の狩野派の作品はいささか定型化しているようにも思えてしまうのが難。

 岸田劉生に関しては意外に逸品あり。またこれ以外にもコレクションになかなか秀作が含まれており楽しめる。


 美術館の見学を終えた後は、再びバスに乗車して下関に向かう。壇ノ浦などを通り過ぎて、やがて関門大橋の下をくぐる。私が以前に関門大橋を見たのは中学校の修学旅行の時だが、その時には非常に大きな橋だと感心したのだが、この年になって改めて見ると思ったよりも小さな橋なので逆に驚いた。これが時代の流れの怖さである。間違いなく建造当時は最大級の橋だったはずだが、その後に瀬戸大橋や明石大橋などのさらに巨大な橋が建造されたために、これらの橋を何度も目にしている私には、今となっては関門大橋は小さな橋に見えてしまうのである。

 下関に到着した時には夕方。今日はここで夕食を摂る予定だが、店の予約時間までまだ少々余裕がある。そこでこの地域の観光施設である「海峡ゆめタワー」に登ることにする。タワーに登れば下関の風景を一望できるとか。またこれからの時間だと夜景を眺めることもできそうだ。「カップル達のメッカ」などと宣伝されていることが少々不愉快ではあるが、そんなことを気にしているとオッサンの一人旅なんてとてもできない。トランクをゴロゴロと引きずりながらタワーに向かう。

 確かにタワーの展望室からは関門大橋から九州まで一望にすることができる。またどうやらカップルだらけということもないようで、明らかに観光と見えるオッサンもウロウロしていたりで少々安心する。やがて日は西に傾き、辺りに闇が漂い始める。ここで私は夜景撮影に挑戦したのだが、これがなかなかうまくいかない。そもそもデジカメでは夜景はなかなか撮れないと言われているが、確かに空が黒くならないのである(オートまかせにすると、夜景ではなくて昼の風景のようになってしまう)。結局はあれこれ試した挙げ句、すべてをマニュアル設定にした上で露出を通常よりも落とし気味にすることで、ようやくイメージのような夜景写真が撮影できるということが分かった。

 タワーからの夕景

 

  

左が典型的なデジカメオートによる撮影。空が夜にならない。右はマニュアルによる露出補正後。

 下関の夜景はいささか照明が少なめで地味である。しばらく夜景撮影などを行って時間をつぶし、適度な時間になったところで再び駅前までとって返す。今日の夕食を摂るのは駅前の「ふく処きんかん」。下関で安価にふぐを食べさせることで有名な店である。私が予約していたのは「ふく白子コース(8800円)」。私としては今まであり得ないような高価な夕食なのであるが、私は今までふぐを食べたことがないということと、今回の主旨である「自分にご褒美」からの決断である。ただ決して収入が多いわけではない私は、この結論を出すまでにかなり逡巡したのは事実である(笑)。

 店内は庶民的な雰囲気。ただ今日は客が多いらしく店内全体がバタバタしていてかなり混乱している。

 まずは白子の焼き物から登場。濃厚な風味が美味。続いて白子のスープ。これもなかなか風味を楽しめる。その後は唐揚げとウニの刺身。唐揚げは若干塩辛い印象。その後が刺身。これがやはり美味。シコシコとした歯ごたえがなかなか。最後はふぐちりがあって、食べ終わった後は雑炊で締め。ふぐちりはやはりふぐは食感として魚よりも鶏肉のようだということを痛感。雑炊はなかなかに美味であった。

  

  

 確かに言われるようにふぐは美味であるということはよく分かった。ただこのコースで8800円というのは、やはりふぐという食材は極めつけにコストパフォーマンスが悪いということは痛感せずにはいられない。また美味ではあるとは言ってもそれはあくまで想定の範囲内であり、驚きや感動のようなものはあまり感じなかった。驚きと感動という意味では、広島で初めて牡蠣を食べた時や松山で食べたカワハギの刺身の方が強烈であったのは事実。なお刺身を食べた後、しばらく口がピリピリとしびれたのだが、最初は付け合わせのもみじおろしが辛かったためかと思っていたのだが、どうもそれだけではなかったような気も・・・。

 夕食を終えた後は山陽線で宇部に移動、ここで宇部線の車両に乗り換えて宇部新川まで移動して、そこで宿泊する。今回の宿泊ホテルは「ビジネス旅館駅前」。その名の通り、宇部新川駅の駅前にあるホテルで、風呂・トイレ共同で安価な宿泊料が最大のポイントであるホテルである。部屋はシンプルであるが結構広々している。とりあえず入浴を済ませると、明日の早朝の予定のためにさっさと就寝する。

 

 翌日の起床は5時半。身支度をして6時に朝食を摂るとそのまま外出する。外はまだ真っ暗で雨が少々降っている。これからまた「21世紀の地域振興と交通について考える市民の会代表(自称)」としての視察活動である。この辺りはセメント輸送のための路線が多いのであるが、それらの路線を視察しておいてやろうという主旨。まずはその中の小野田線の視察からである。

 小野田線は宇部新川の隣の居能駅から小野田駅を結ぶ単線電化路線であり、途中の雀田からは長門本山まで本山線と呼ばれる支線が出ている。なおこの本山線が曲者で、朝・夕の数本しかないという超閑散ダイヤになっている。実はこれに乗るために宇部新川で宿泊する必要があったという次第。

 宇部新川に到着すると、長門本山行きの普通列車が停車している。ちなみにこの路線は以前にはクモハ42型という戦前に投入されたという超老朽車両が運行されており、多くの鉄道ファンが訪れたとのことであるが、この車両もさすがに限界がきて近年に123系電車に置き換えられた・・・とのことだが、鉄道ファンではない私にはどうでも良いことではある。

 

早朝の車内には全く乗客の姿はなし

 発車時間がやって来たが、単両のロングシート車内には乗客の姿は私だけ。列車はそのまま貸し切り状態で動き始める。隣の居能で小野田線に分岐、途中の雀田はホームが三角形になっており、小野田線の本線とV字型に分かれる構造、ここで本線の車両としばし待ち合わせをするが、ここでも乗り込んでくる客はおらず、結局は終点の長門本山まで乗客は私一人だけという状態。

 雀田では向こう側に本線車両が到着する

 終点の長門本山に到着するのは30分もかからなかった。到着した長門本山は何もないところに雨よけ程度の簡素な待合室があるだけ。一体どこをつなぐためにある路線か不明なのだが、だからこそ乗客が私しかいなかったわけか。列車はここで折り返して雀田まで戻るが、ここで乗り込んできたのは地元民らしき乗客が二人。どうやら朝の時点では長門本山から小野田方面に出る方向にしか需要がなさそうである。

 長門本山駅は全く何もないところ

 私もこんなところにいても仕方ないので、そのまま折り返す。雀田に到着するとそこで小野田行きの列車に乗り換え。こちらの車両もやはりロングシートの123系だが、こっちは2両編成でトイレがついている。

 小野田線車内

 列車はそのままいかにも工場近郊の住宅地という趣の沿線を抜け、途中で小野田港なども経由しながら小野田に到着する。宇部駅周辺がほとんど何もないのに対し、小野田駅周辺には住宅地などが結構あるようである。ここで山陽本線経由の宇部新川行きの列車に乗り換える。宇部線も単線電化路線で運行車両も小野田線と同じ123系が中心。

 

宇部新川駅舎及び新山口行き快速

 宇部新川まで戻ってくると、ここで一端ホテルに帰還。早朝からの移動でいささか眠い。しばし休息をとった後に荷物をまとめてチェックアウト。再び宇部新川から乗車すると、そこから宇部線の残りの路線を経由して新山口駅に移動する。宇部線沿線も小野田線と同様に工場地帯周辺の住宅地という趣。本山線以外は乗車率はそれなりにあるようだが、この辺りの路線の浮沈は一重にこの地域の工業地帯の盛衰に連動しているように思われる。恐らくメインは通勤通学需要であると思われるが、この地域でもモータリゼーションの進行が見られるのは鉄道路線の将来にとっては暗い傾向である。

 新山口こと小郡に到着

 新山口こと旧小郡駅に到着したのは10時頃。ここからはバスでの移動になる。今日のメインイベントは秋芳洞訪問になる。秋芳洞については私は以前から一度は訪問したいと考えており、今回の遠征に向けて着々と準備を整えてきていた。最近に相次いで岡山地域の鍾乳洞攻略を行っていたのは、そもそも今回の遠征に向けての予行演習であったわけである。

 

 バスに揺られること40分程度。到着した秋芳洞はかなりの山の中。バスセンターで大型トランクは三脚だけを取り出した上でロッカーに放り込んでの移動になる。秋芳洞周辺はかなり観光地化しており、土産物屋などが林立している。ただ今日は冬で寒い上に天候もあいにくの小雨状態だったためか観光客はそう多くなく、土産物屋もなんとなく閑散としている。

 秋芳洞の入口をくぐった途端に思わず笑いが出る。「でかい。」私が思わず発したつぶやきがこれである。さすがに日本最大とも言われている鍾乳洞だけにスケールが違う。とにかく内部は広々としており、天井が高い。洞窟と言うよりもホールに近いイメージである。私は岡山の一連の鍾乳洞探検で、鍾乳洞内での撮影では三脚と広角レンズが必須という結論に達していたのだが、その経験の半分は全く役に立たないことをここで感じずにはいられなかった。この洞窟の中では広角レンズではなく、望遠レンズの方が必要である。装備を標準仕様のシグマの望遠系ズームに切り替える。

 

 幸いだったのは観光客が比較的少ないために、まわりを気兼ねせずに三脚を広げられたこと。安心して長時間露光撮影が可能であった。絞り開放状態でシャッター速度は数分の1秒から最長4秒程度。ただ問題なのはあちこちにある照明。これをうまく考えないと、照明の回りだけが白飛びして、肝心の画面全体は真っ暗ということにもなってしまう。また洞窟内は暗いために、やはりオートフォーカスは全く機能せず、マニュアルフォーカスに頼らざるをえないのだが、これもファインダー内が真っ暗のためにあまり役に立たず、結局は距離を大ざっぱに見積もってピントは大まかに設定するしかない。つくづく洞窟内撮影というのは困難であると言うことを痛感した。

   

  

 

 ただ回りを見回すと私のような重装備はかなり希で、大抵の観光客はお手軽にコンパクトデジカメ(コンデジ)の手持ちで洞内撮影をしている。今のコンデジはこんなところで撮影が可能なぐらい性能が上がっているんだろうか? 中にはケータイで撮影している観光客も。最近は明らかな鉄道マニアでもコンデジを使用している者が増えているようだし、やはり世の中全体が軽薄短小の方向に向かってるんだろうか。私のような重厚長大嗜好で大艦巨砲主義な人間は前世紀の遺物のようだ。

 秋芳洞はそのスケールに驚くが、その距離の長さが身体にこたえる。井倉洞やダイヤモンドケイブに比べると起伏があまりないのが救いだが、その分ひたすら歩かないといけないという感じである。ただ洞内は奇岩の連続なので全く飽きることがない。観光整備はかなり進んでいて足下に不安がないので、重装備でも歩きやすくはある。

 一番有名な黄金柱の手前当たりに地上に出るためのエレベータがある。洞窟の一番奥まで見学をすませた後、ここから地上に出て展望台に行ったが、残念ながら雨のせいで周囲がもやっており視界はゼロ。カルスト台地の見学は不可能だった。これは捲土重来するしかないようである。

 

 再入場料100円を支払って再び洞窟内に戻ると、そこから入口まで途中で記念写真などを撮りつつブラブラと戻る。途中で冒険コースなる表示が目に入る。懐中電灯を片手に上の方まで登るコースの模様。しかしいきなりはしごを登る必要があるようで、今の私は撮影機材を抱えている上に、足にもかなりダメージが来ているようなので、無理はせずにこれは次の機会に回すことにする。

 秋芳洞を堪能した後は、土産物を買い求め、昼食に現地の名物という瓦そばを食する。これは瓦の上で日本そばを焼いたもので、和風焼きそばという趣。ただ関西人としてはそばを焼くとやはり醤油系付け汁よりもソースを使いたくなってしまう。何となく味にインパクトがなくて、正直今一つ。

 昼食を済ませたところでバスで一気に山口市まで移動する。

 


「運慶流」山口県立美術館で12/21まで

 鎌倉時代には奈良仏師である運慶・快慶の一派が勃興したのであるが、その運慶流の仏師達の作品を展示したものが本展。なお私が訪問したのが会期最終日だったこともあり、場内はかなりの混雑である。

 荒々しくも力強い造形の運慶に、それよりはやや端正な快慶といったこの二人の造形はなかなかなのであるが、それ以降は急激に洗練されていくにつれ、かつての運慶のような造形のバランスを崩すまでもの荒々しさが影を潜め、残念ながら私的にはあまり面白みを感じない方向に向かっていっている。

 狩野派の絵画などでも同じことが言えるのだが、やはり流派として確立していくにつれて表現が定型化し、どうしても先人達にあった型破りの力が失われていくようである。やはり開拓者に後継者はかなわないということなのだろうか。


 美術館の見学を終えた後は、山口駅までトランクをゴロゴロと引いて移動。そこからとなりの湯田温泉駅まで一駅乗車して、そこからまたホテルまでゴロゴロと移動である。湯田温泉はその昔に白狐が見つけた温泉であるとのいわれがあり、駅の前には巨大な白狐の像が立っている。トランクをゴロゴロと引っ張りながら10分ほど移動すると、足湯のある公園などがあったりなど、温泉場めいた雰囲気になってくる。ただ湯田温泉自体は田舎のひなびた温泉とは対照的な都会の中の温泉地である。

  

 今日宿泊するのは湯田温泉の「ホテル喜良久」。湯田温泉はビジネスホテル形式の温泉ホテルが結構多いのであるが、ここもそのような形式のホテルの一つである。男女別の大浴場に宴会場、和室など従来の旅館のような設備にビジネスホテルが合体しているような独特の形式となっている。今回私は「タオル等は自分で持ち込み」という形式の安価なプラン(4980円)を採用した。この宿泊料で温泉(アルカリ単純泉である)がついてくるのだからおなりお得。昨日今日と重たいトランクを引っ張って動き回ったせいで、体のあちこちにガタが来ているので、その疲れを温泉でじっくりと癒す。

 温泉で疲れを癒したところで夕食に繰り出す。夕食を摂る場所については特に予定はなかったので、近くのホテルの地下にある和食店「京料理鴨川」で季節の会席料理「花ごよみ(3000円)」を頂く。

  

  

 

 会席料理というだけあって前菜から揚げ物、椀もの、最後は雑炊までとなかなかに豪華。ただ味が料理によってややばらつきがある印象で、京料理という割にはやや味付けのしょっぱいものがあった(特にてんぷらと牛鍋)のが非常に気になった。

 夕食から帰ってくると原稿の執筆。しかし今朝は早朝から活動した上に、秋芳洞や山口でかなり歩き回ったせい(結局は一日で二万歩越え)で、疲れが溜まっているのか全くはかどらない。そこで気分を変えるために再び大浴場に繰り出して入浴。しかし入浴でゆったりとくつろいだら、本格的に眠気が増してきた。あきらめてこの日はかなり早い時間(10時台)に床につく。

 

 翌朝は6時半まで爆睡状態。目を覚ますと、まずは着替えて朝食のために外食。本来ならホテルで朝食を済ませたいところだが、あいにく今朝はホテルのレストランが休業とのことで近くのガストで朝定食を食べる。

 今朝はかなり冷え込んでいたので、外出したら体が冷えきってしまった。そこで朝風呂と洒落込む。体が温まったところで手早く身支度するとチェックアウト、ガラガラとトランクを引きずりながら駅まで移動する。

 今日は出雲まで移動する予定。移動手段については普通列車でエッチラオッチラというのも考えたのだが、それだと移動に半日かかってしまって無駄が多い。そこで今回の主旨である「がんばった自分にご褒美」という原点を思い出して、特急スーパーおきを使用することにした。そもそも以前にこの地域に遠征した時、なぜか一目見るなりこの特急列車に非常な魅力を感じた記憶もあるので、これも運命と言うものだろう。スーパーおきはキハ187系車両を使用した特急列車。ディーゼル振り子車両ということで私の大好きなスーパーはくと(HOT7000系)やJR四国の2000系の親戚筋に当たる。確かにこれだけで私が心惹かれるに十分な理由はある。

 

 2両編成の車両は結構混んでいる。昨日あえて指定席を確保したのは正解だったようである。私が確保したのは偶数番席で、これは山陰線に入ったときに海側になる席という意味もある。独特の甲高いディーゼルサウンドを響かせて車両が動き出す。キハ187系は振り子を実現するために2機のエンジンを対称配置しているので、非常にエンジン音がうるさいのが特徴の一つなのだが、このエンジン音が私にはむしろ「頑張って走っている」という感じがして心地よい。

 

 しばらくは山の中を走行するルート。この辺りは路線の制約であまり速度は出せないが、それでも普通でエッチラオッチラいくのとは速度は違う。とは言うものの、この路線は既に一度走行しているし、見るべきものも特にないので、ポメラを出してきて執筆活動開始である。やがてつい一ヶ月前に私が石垣ダイブをした津和野に到着。腹が空いてきたので車内販売でいなり寿司を買い求める。しばらく後に益田を超え、いよいよ山陰本線に突入である。

 

 

 今日は朝から天候が荒れ気味で、日本海はかなり波が高くて壮観である。先々日は青空の下に穏やかな日本海の光景が広がっていたが、今日は灰色の空の下に荒々しい波が打ち寄せている。どちらかと言えばこちらの方が日本海の本来の姿のように思える。要所要所では風景を写真に収めておく。

 列車はやがて江津に到着。ここからは私にとっては未調査地域になる。ただこの辺りは路線がやや内陸に入って風景的には見るべきものがなくなってくる。ただこの辺りからキハ187系車両がその真価を発揮して、右に左に車体を傾けながら疾走するようになってくる。キハ187系はHOT7000系やJR四国2000系の直系とのことだが、走り自体はその先達よりも滑らかな印象がある(私はどちらかと言えば、2000系のゴツゴツした走りが好きだ)。

 ぼんやりと窓の外を眺めていたが、だんだんと雨が激しくなってきて、この頃になると窓は打ち付ける雨水で風景がよく見えない状況。目的の出雲市駅が近づいて来るにつれて嫌な予感が増してくる。そしてやがて列車は出雲市駅に到着、向かいのホームに停車している特急やくもに多くの乗客が乗り換える中、私は改札に向かう。

 駅舎から外に出た途端、私の予感が的中したのを痛感する。天候は大荒れとしか言いようがない状態だった。雨こそそう滅茶苦茶に強いものではないが、風がかなり強くて、軟弱な三つ折り傘なんか全く役に立たない状態。そもそも私は二つ折りの傘を愛用していたのだが、軽薄短小の時勢の反映か、三つ折り傘に駆逐されて全くなくなってしまった。そこで嫌々三つ折り傘を使用しているのだが、骨は軟弱だし、構造上畳まずにすぼめるということはできないしと、私が使う限りにおいてはメリットは何一つない。なんでこんなに使えない傘ばかりになってしまったんだ。

 などと傘についての悪態をつきつつ、ずぶ濡れになりながらとりあえずホテルに到着する。まだチェックインまではかなり時間があるが、とりあえずトランクを預けて身軽になる。

 出雲市駅まで戻るとここからバスで移動。まずはこの近くにある今岡美術館を目指して移動・・・したのだが、現地についてから絶句する。「しまったぁぁ!今日は月曜日だった!」。美術館の類は月曜休館のところが多いが、月曜日が祝祭日の場合には開館になる。しかし今日は飛び石休の間の「平日」なのである。私は自分が休暇を取っていたものだから、すっかりそのことを忘れていたのだ。これこそ俗に言う「魔の月曜日トラップ」である。

 仕方ないのですぐにバスで次の目的地に移動することにする。次の目的地は出雲大社。出雲大社には去年に家族で訪問しているが、その時に良縁を祈願したにもかかわらず、それから一年の間、私の身辺にはその気配さえ現れなかったことから、これは多忙な出雲大社の神様に忘れられているに違いないと判断し、この際催促をしておくことにしたのである。

 しかし腹が減っては何とやらである。出雲大社に参拝する前にバスターミナル近くのそば屋「八雲本店」で昼食をとることにする。このそば屋は結構有名とのことで、観光シーズンには行列ができることもあるそうだが、今日は観光シーズンオフの平日のしかも天候は大荒れで、さらに昼食時を過ぎているというわけで、客はほとんどいない状態だった。

  

 注文したのは五色割り子そば(1585円)。5段になった割り子そばにそれぞれ、鰹節、大根おろし、とろろ、天かす、玉子といったそれぞれ異なる具が乗っており、5種類の風味が楽しめるという趣向。いかにも出雲のそばらしい手打ちのそばだが、麺が口当たりは柔らかいにもかかわらず腰があるという絶妙のものだし、つゆの方も関東のそばのようなただ辛いだけのものと違い美味。また具についてはとろろあたりがオーソドックスなところだが、おろしそばもさっぱりしていて良い。また意外にうまかったのが玉子。

 腹を満たしたところで参拝である。しかし今日は観光シーズンオフの平日のしかも悪天候ということで、さすがの出雲大社もガラガラ。まさか出雲大社でわびさびの情緒を感じるとは思わなかった。しっかりと良縁祈願をしておくが、これだけ参拝客が少なければ、今度こそは出雲の神様も忘れはしないだろう(笑)。

 

出雲大社本殿は修繕中とのことでご本尊は仮殿の方にいらっしゃいます

 出雲大社参拝の次はとなりの歴史博物館を訪問する。前回の時にも立ち寄った施設であるが、その時は体調が悪くなって途中から見学どころでなくなってしまったのでリターンマッチである。例によって刀剣類についてはさすがに出雲らしい圧倒的な物量である。出雲では銅鐸や銅剣の類がゴロゴロ埋まっており、工事現場の土砂から数本の銅剣が発見されたり、田んぼの中に銅鐸が埋まっていたりなんて例もあるとか。

 歴史博物館

 歴史博物館の見学を終えた頃には夕方になっていた。今から出雲駅前に戻ることになるが、このままバスで戻るのも芸がない。そこで出雲大社前駅まで歩いて、一畑電鉄で帰ることにする。前回の島根訪問で一畑電鉄の松江しんじ湖温泉駅から電鉄出雲市駅までの北松江線は乗車したのだが、川跡から出雲大社前までの大社線は未乗車であるので、これで一畑電鉄は完乗ということになる。

  

 出雲大社前駅で待っていたのは2100系電車。この車両は京王電鉄から譲り受けたものだそうな。内部はロングシートになっている。これが川跡との間を往復運転している模様。大社線は北松江線同様単線電化路線であるが、沿線は田んぼの中に集落が散在しているようなところで全く何もない。川跡では3方面行きの列車が同時に集結するダイヤになっており、ここで各方向の乗り換えを一気に行うことになる。乗り換えを済ませると電鉄出雲市駅まではすぐである。

 出雲市まで戻ってくるとまずはホテルでチェックインの手続き。今回宿泊するホテルは以前にも利用した「出雲グリーンホテルモーリス」。大浴場付きで宿泊料が安価ななかなかに良いホテルである。

 この日の夕食はこれまたあてがなかったので、駅前をフラフラとしながら目についた中華料理屋に入ったのだが、これが見事に失敗。食後に舌に化学調味料の味が残って不快な思いをすることになった。なお生まれて間もない頃から化学調味料まみれのファミレスの食事などに慣らされている最近の若者の中には、この舌にまとわりつく化学調味料の味がないと食事をしたという気にならず、まともなものを食べると「何か一味足りない」と感じるというぐらい味覚を完全に破壊されている者もいるとか。ここまで来てしまうと日本の食の今後も多難である。なお出雲市での食事は前回に続いてこれで二連敗である。どこか良い飲食店の開拓が必要なようである。

 夕食を済ませてホテルに戻るとこの原稿の執筆・・・をしようと思ったのだが、正直なところ疲れ切っている上に重たいトランクを引きずっての移動が多すぎたせいか、背中や脇腹にかなりの痛みが発生しており、爆弾を抱えている腰がかなり不穏という状態。とても机に向かう気になれなかったので、大浴場に行って入浴を済ませるとマッサージチェアで身体をほぐし、そのまま早めに床に就いてしまう。

 

 翌朝はホテルで朝食を済ませると(ここのホテルは朝食バイキングのボリュームがあるのも良いところである)、チェックアウト。まずは駅前からバスに乗る。昨日見事に空振りした今岡美術館に立ち寄っておこうという考えである。


「大観と平山郁夫の仲間たち」今岡美術館で2/28まで

 横山大観ら日本画の大家達の作品を展示した展覧会。

 一応看板としては横山大観、平山郁夫の名を上げているが、私としてはそれよりも川合玉堂などの作品の方が非常に印象に残った。また以前に今井美術館で見た宮廻正明の作品も展示してあり、この人の淡い色彩の作品はやはり私の感性にマッチするということを再認識した次第。

 この美術館の展示品の特徴としては、絵画だけでなく巨大欅の切り株などの天然木の展示があること。これがまた自然の絶妙な造形で、下手な現代彫刻などよりも遙かに面白い。人為的に作ったキャラが天然キャラに勝てないのと同様、やはり人為的彫刻よりも天然の造形の方が勝ると言うことか。


 今岡美術館の見学を済ませると再びバスで出雲市駅まで戻ってくる。今日はこのまま山陰本線を鳥取方面まで移動する予定である。まずは米子行きのアクアライナーに乗車する。アクアライナーは山陰本線の益田、浜田から米子の間を運行している快速列車で、セミクロスのボックスシートのキハ126系気動車が2両編成で運用されている。キハ126はこの地域の路線の高速化のために投入された新型車両で、スーパーおきなどに使用されているキハ187系気動車の廉価版(振り子機能を省いて、エンジンを1機にした)というような車両である。なお快速というものの、出雲市以東は事実上の普通列車の運行である。

 

 出雲市を出てしばらくすると、前回木次線に乗り換えた宍道駅に到着、そこをさらに過ぎた頃から左手に宍道湖が見えるようになる。玉造温泉を過ぎて辺りに建物が多くなると松江に到着。ここで多くの乗り降りがあってから、しばらく田舎地域を走行すると米子に到着する。

 

 米子でさらに乗り換え。今日の次の目的はとりあえず倉吉の予定である。ちょうど隣のホームに倉吉行きの普通列車が到着しているのでこれに乗り換える。使用車両は先ほどのアクアライナーのキハ126系の単両運行版であるキハ121系である。

 列車は伯備線との分岐駅である伯耆大山駅を抜けると右手に大山などの山々、左手に日本海を見ながらひたすら走行する。私はぼんやりと風景を眺めながらゆったりモード。この地域の風景には特に見るべきものがあるわけではないが、山陰全体に共通するものとしてとにかく風力発電用の風車が多い。結局は今回の遠征で多分20機以上の風車を目撃しているはずである。

 倉吉に向けて順調な移動・・・のはずだったのだが、途中で雲行きがおかしくなってきた。山陰本線は単線なので当然対向車との行き違いがあるが、その待ち時間がやたらに長くなってきたのである。車内アナウンスによると、どうやらこの先で落石事故があり、対向車両のダイヤが滅茶苦茶になっている模様。その煽りで私が乗車した列車のダイヤも滅茶苦茶になってしまったようである。これだから単線は・・・。まあ今日はは特別に先を急いでいるわけでないので致命的な問題ではないが、これが昨日までのような分刻みの精密なスケジュールに沿って移動している時なら致命傷になりかねない。このようなトラブルに今日出くわしたのは、むしろ幸運だったと考えるべきなのかもしれない。

 結局は倉吉には予定よりも20分以上遅れての到着となった。もっと田舎の駅かと思っていたのだが、ここは三朝温泉への玄関口にあたるということからか、ホテルからの送迎バスなどもやって来ており、結構観光地ムードで賑わっている。これから予定をこなすことになるのだが、その前にまずは腹ごしらえである。なお今回昼食を摂る店は事前に調査済みである。駅前のホテル内にある「カフェレストラン サンジェルマン」で「エコランチ(1000円)」を頂く。

 ここは地元素材を使用した地産地消のレストランだと聞いているが、食材が良いのか非常に野菜類が美味しいことに驚かされる。例えば最初のサラダなのだが、単にドレッシングをかけただけのグリーンサラダにもかかわらずこれが絶妙にうまい。ドレッシングが良いということもあるのだろうが、そもそもの野菜の味が良いのが明らかである。さらに次に登場したカボチャのスープも甘さが非常に心地よい。

 

 メインはサーモンポワレ。ただし運ばれてきた料理を見た途端、私は心の中で「なんじゃ?早い話が単なる焼き鮭かい」と呟く。いささかメインとして弱い印象である。しかしこれも一口食べた途端に印象が変わる。「うまい」。単なる焼き鮭と思っていたのだが、これが味が実によい。またこの料理の場合も付け合わせの野菜が抜群に旨い。

 

 非常にあっさりした内容であるにもかかわらず、素材の良さを最大限に活かした料理で堪能させられてしまった。なお私は以前から「優れた料理は実際の量以上に満腹感を与える」と言っているが、まさにこのランチがその最たる例。エコランチという名称通りに明らかに量・カロリー共に抑え目であるにもかかわらず、食後には満腹感があるのである。こんなレストランが近くにあれば、私もメタボにならずにすんだかもしれないのにと思うことしきり。

 昼食を済ませると目的地にバスで移動である。倉吉には赤瓦白壁地区と呼ばれる観光エリアがあり、そこでは昔ながらの建物が残ってレトロな風情をたたえている。最近は観光目的としてこの手の街並み保存が流行しているようだ。大洲では昭和レトロの雰囲気が、内子では江戸時代の風情が漂っていた。ただここの場合は年代を特定しにくい。明治辺りというところだろうか。

   

 目的地はこの赤瓦白壁地区を抜けて、市役所などがある公園地域の一角にある。この辺りは山の斜面になっているので、重たいトランクを引きずっての移動が少々辛い。

 


倉吉博物館

 私が訪問時には所蔵の絵画を中心とした所蔵品展と、地元の写真グループによる作品展を実施していた。

 所蔵絵画については地味な作品が多いが、地元画家と言うことで前田寛治の作品が結構多かったのが印象的。とは言うものの、残念ながら彼の作品はあまり私の好みではない。結果として今一つ私の感性にマッチする作品はなかったというのが本音。


 これで今遠征のすべての予定は終了である。後は帰宅するだけ。とりあえずは鳥取まで普通列車で移動。結構古くさいイメージの列車が運行されていたが、これはキハ47系という国鉄時代からの遺産らしい。以前に鳥取遠征の時にも見た記憶のある車両である。これでガタコンガタコンと鳥取まで移動。倉吉以東は路線が内陸に入り、日本海も見えないので風景にはあまり見るべきものがないが、近くに池が見える辺りではなかなか面白い水辺の風景が見える。途中の鳥取大学前から大学生ならぬ高校生が大量に乗車してくると、そのまますぐに鳥取に到着である。ダイヤが滅茶苦茶になっていたので到着時間が気になっていたが、結果としてはほぼ定刻通りに到着した。

 

 鳥取からであるが、無理をせずに特急スーパーはくとで帰宅することにする。座席は指定席の最前列かぶりつき・・・と言いたいところだが、もう既に夕刻で直に真っ暗になるのは分かり切っているので、経費を抑えて自由席に乗車した。この日程のこの時間帯の上りのスーパーはくとが満席になることはまずないだろうと推測しての行動だが、予想通りスーパーはくとの自由席はガラガラであった。車内で鳥取駅で購入した「とっとりの居酒屋弁当」を広げて堪能。以前の鳥取遠征時にはカニ寿しを購入したが、イマイチだった記憶があるので何やら面白げな弁当を探しての選択だったが、この弁当はなかなか正解だった。

 

 結局今回の遠征で、今まで未踏であった山口地区の大半の路線を乗りつぶすことになり、JR西日本エリアでの未調査地区は益田−長門市、鳥取−豊岡間の山陰本線、智頭−東津山間の因美線(ちょうど智頭急行の裏側)、宇野線、紀伊田辺以遠の紀勢本線、北陸地域の路線ということになった。このうち、益田−長門市については2008年度に実現できなかったSLやまぐち号乗車と萩市訪問に関連して、2009年度の春以降に計画があるし、宇野線は直島訪問、因美線は智頭急沿線探訪、紀勢本線は紀伊半島経由伊勢行き計画がこの夏に予定されている。北陸方面も福井を中心とした遠征計画があり、JR西日本エリアの制覇もそろそろ見えてきた・・・って、私は鉄道マニアではなかったはずなんだが・・・。

 今後は東海地区や九州地区なども視野に入ってくるかと思われるが、九州地区の複雑な鉄道路線図や、JR東海地域の山岳地域を延々と走る路線図を見ていると目眩が・・・って、そもそも鉄道マニアでない私が路線乗りつぶしをやる必要なんてないはずなんだが・・・。とにかく今後のことを考えると、旅費も高くなってきそうだしもろもろ頭の痛いことが多いのである。

 

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