展覧会遠征 静岡・東京編

 

 東京遠征の際に常に問題になるのは、当然のように交通費の件である。現在のところ、往復に新幹線を使用しているが、コストの面から見てこれがベストであるとはとうてい言えない。しかし夜行バスは身体に負担が大きすぎるであろうことは、先ほどの北陸遠征でも再確認させられる羽目になった。在来線で行くなどという荒技も考えたが、身体の負担はともかくとして、これだと移動でほぼ丸一日かかってしまい、東京での滞在日数を増やさざるを得ないので、交通費が減ってもその分宿泊費が増えてしまうのでは無意味である。

 以上のような事情で、常に思考は堂々巡りになるのだった。しかし最近になって状況に劇的な変化が生じた。それは私が東京に定宿と言える宿泊施設を確保したことだった。現在、私の東京での定宿となっているのはホテルNEO東京。なんと言っても最大のポイントは、一泊3500円という宿泊料である。つまりは移動に一日費やしても、交通費の節約額が3500円を越えれば経済的メリットが生じるのである。

 そしてこの状況変化に基づいた新たな戦略を実践する時が来た。今回、この三連休に東京遠征を実行することとなったが、折しも鉄道の日記念切符の発売期間中である。そこでこの切符を最大限に活用することで、交通費の節約を図ることにしたのである。とは言っても、やはり鉄道ファンではない私としては、1日中鉄道での移動だけというのはさすがに辛すぎる。そこで最大限在来線を使用することにしつつも、少々計画をアレンジすることにした。

 東海道線を通っていくことになるのだから、ついでに今まで懸案事項となっていた静岡地区の攻略を行うことにした。ただ静岡に寄り道するとなったら、行動時間と体力を確保するという意味でも、さすがに最初から最後まで在来線で移動というのはあまりにきつすぎる。そこで東方遠征の場合に常に大きな時間ロスと体力の消耗(米原での第四次スーパー席取り大戦のせいである)を生むことになる大阪−名古屋間の移動に新幹線を使用してショートカットすることにしたのである。しかし普通に新幹線を使用するのではやはりコストがかかりすぎる。そこでここで使用するのがJR東海ツアーズが発売している「ぷらっとこだま」プランである。

 この「ぷらっとこだま」というのはJR東海ツアーズが発売している旅行商品であり、新大阪−名古屋間をこだまで移動して4200円と、通常の乗車券よりも1000円以上も安くなっている上に、ワンドリンクがついてくるという代物である。実際は添乗員が付くわけでなく、実質的には乗車券を発売しているに等しいのであるが、あくまで旅行商品となっているのがミソ。ただし旅行商品であるがための制約もある。まず乗車できるこだま号が決まっているということ。さらに時間変更や乗車変更は不可能であること。もし予約した便に乗り遅れたり、途中下車してしまった場合は、旅行券がまるまる無効になってしまうというリスクがある。また乗車前日までに購入しておかないといけないとか、乗車時に使用できる改札が限定されるとか、こだまなのでやはり時間がかかる上に、一番使い勝手の良い時間帯がなかったりするなど細かい不便があるので、この辺りはコストの妥協ということになる。

 さて当日はとにかく遅刻しないように新大阪に駆けつけると(実はこんな日に限って朝寝坊して焦ったが)、新大阪駅の売店で伊右衛門を受け取りこだまに乗車、1時間で名古屋に到着する。ここからは鉄道の日記念切符がフル活躍することになる。ちなみに鉄道の日記念切符とは10/14の鉄道の日に合わせて10月の上旬に発売される切符で、有効期間は10月上旬の2週間(今年の場合は10/4〜10/19)。有効期間中の3日間、JR全線の普通列車が乗り放題で9180円という切符である。ちょうど青春18切符の亜種と考えればよいが、青春18切符が1回あたりの料金が約2000円なのに対し、こちらは3000円とやや高い価格設定になっているのと、こちらは子供用切符があるのが違いである。

 さて名古屋で在来線のホームに移動すると、豊橋行きの快速列車に乗り込む。この地域でよく見るクロスシートタイプの車両である。沿線風景は岡崎ぐらいまではベッタリと名古屋圏の住宅地。岡崎を過ぎた頃から郊外の風景となり、再び周辺が都会めくと豊橋である。この間45分ほど。なおこの豊橋からは山本正之の名曲「飯田線のバラード」で有名な飯田線が分かれており、鉄道マニアの聖地となっているとのことなのだが・・・鉄道マニアではない私には関係のないことである。

 豊橋で乗り換え

 この豊橋で乗り換えてさらに移動となるのだが、問題となるのはここからである。と言うのは、ここからJR東海の本音がもろに出てくるからである。JR東海の本音とは何か。それは収益の大半を東海道新幹線に依存するJR東海としては「在来線ではなく、新幹線に乗ってもらいたい」というものである。名古屋−豊橋間は名鉄という競争相手がいるので、対抗上快速を運行しているが、名鉄の勢力圏外である豊橋以東は、普通列車の運行しかなくなり(快速も各駅停車になる)、露骨に在来線が迫害されるのである。この辺りは、競争相手の私鉄がいなくなる姫路以西のJR西日本の在来線が、各駅停車しかなくなって異常に時間がかかるようになるのと状況が似ている。

 とりあえず豊橋で浜松行き列車に乗り換える。ここら辺りからは沿線風景がのどかになり始める。新所原からは天竜浜名湖鉄道が北に向かって走行していたりするが、これも鉄道マニアでない私には今回は無関係。浜名湖の湖岸を通過してしばらくすると浜松に到着。この間は30分ぐらいである。この浜松でさらに興津行きの普通列車に乗り換える。なおこの浜松からは遠州鉄道という路線が出ているが、これも今回は無関係。

 浜松でさらに普通列車に乗り換え

 この辺りからは沿線はのどかさを増してくる。大井川鉄道が発する金谷を過ぎると、かつての「越すに越されぬ大井川」をあっさりと鉄橋で通過、焼津を通過して安倍川を渡るとようやく静岡に到着である。ここで列車は後ろ2両を切り離して3両編成になってさらに先に進む。ようやく私が清水で降り立ったのは浜松を出てから1時間半後、既に昼時を若干過ぎていた。

 清水駅に到着

 目的地に行く前にまずは腹ごしらえである。実のところ、わざわざ清水まで一旦やってきたのはあてがあってのこと。清水と言えば漁港で有名だが、清水漁港には魚市場が併設しているが、そこに小売り客を対象にした商業施設があり、新鮮な魚を使った料理を出す店もあるという。

 

 魚市場内には数軒の飲食店があるが、土曜日の昼時のせいかいずれも混雑している。一番人気らしい寿司屋には数十人の行列が出来ている。さすがにそれはパスして、私が選んだのは「みやむら」という店。店長お勧めという本マグロ丼(1200円)を頂く。

 この手の店によくある圧倒的なボリュームというのはあまり感じないが、さすがに魚市場の店だけあって魚は新鮮でありうまい。なんらの特別な工夫も細工もないメニューだが、魚が良いとこれだけで十分勝負できてしまう。やっぱり漁港のあるところではうまいものが食えるはずとにらんだ私の読みは正解だったようだ。なお地元民らしき連中は、穴子の天ぷら丼なども頼んでおり、こちらもうまそうであった。

 さて昼食が終わったところでいよいよ本日の目的地に向けて移動となる。私の遠征は美術館遠征であるのだから、当然のように目的地は静岡の美術館である。そこに移動するために、この辺りを走行する私鉄路線である静岡鉄道の新清水駅に移動する。

 静岡鉄道新清水駅

 静岡鉄道は清水市と静岡市を結ぶ鉄道であったのだが、平成の町村合併で清水市が静岡市と合併したため、現在では静岡市内路線となってしまった。二両編成ロングシートの車両が、複線電化路線をピストン輸送しているが、ダイヤは日中5分間隔程度とかなり高頻度運転で利便性が高い。またJRの路線よりも市街地の中心近くを通っており、駅間も短い(JRでは静岡−清水間に2つしか駅がないのに、静岡鉄道は新清水から新静岡まで15も駅がある)。利便性の高さのためか乗客は結構いるようで、私の知っている鉄道では京阪にイメージが近いような気がする。

 

 県立美術館前駅で下車すると、そこからバスで目的地まで移動する。


「十二の旅 感性と経験のイギリス美術」静岡県立美術館で10/26まで

 日本に触発されたイギリスの芸術家達の作品を集めた展覧会。出展作は絵画に彫刻、陶芸など様々で、明治時代に来日した画家の風景画から、自然を題材にした現代アートまで年代的に種々まちまちである。

 さすがにガーデニングの国と言うべきか、自然に対しては独特の感性を持っているのを感じたし、その感覚は日本人とも通じるところがあるように思えた。とは言うものの、私にとっては「いくらか気持ちは分からないでもない」というレベルであって、やはり現代アートの大半は粗大ゴミにしか見えなかったのが事実。結局は本展のテーマとは若干ずれているターナーの風景画が一番面白かったりしてしまうのだった。


 なお静岡県立美術館は別名「ロダン美術館」と言われるぐらいロダンのコレクションに力を入れており、ロダン館という専用の建屋さえ完備している。自然光を取り入れた広い空間に据えられたロダンの彫刻はなかなかに迫力がある。なおこのロダン館内については、ストロボ及びシャッター音を切る(館内に響いてしまう)という条件で写真撮影が許可されている(携帯電話での撮影は不可)。またこの美術館は風景がを中心としたコレクションで知られており、日本洋画などの秀作も所蔵している。またコレクション展を行っている時に再訪したいと感じた。

 

  

 またこの美術館はプロムナードと称して、館の玄関に至る公園通路に屋外彫刻が多数展示してある。バスで来る時に美術館前バス停まで乗車せず、その1つ手前のプロムナードバス停で下車すると、彫刻を見ながらブラブラと美術館に向かうことが出来るようになっている。私は往路ではそのことに気づかなかったので、復路で屋外彫刻を楽しむことにする。

 プロムナードの野外彫刻

 プロムナードからバスに乗車、再び県立美術館前駅に戻ってくると、そこから新静岡駅まで電車に乗車する。新静岡駅の出口は地下街に直結しており、そこから地下通路で県庁方面に移動できる。なおわざわざ県庁方面に移動したのは、駿府城を見学しておいてやろうという考え。

 新静岡駅に到着

 駿府城はそもそもは今川氏の屋敷があったところ。徳川家康が少年時代に人質としてすごしたのもここで、その後に天下を取った家康によって城郭が整備されるなど、家康とゆかりの深い城でもある。ただ現在は県庁などがこの位置に立地しており、当時からの遺構は堀と石垣の一部くらいしか残っていない。ただこれではあまりに観光的に寂しいと考えられたのか、最近になって巽櫓と東御門が復元されて、辺りは駿府城公園として整備された。なおこの復元、木造によるかなり凝ったものであり、東御門にも青木ヶ原の国有林から切り出したというかなり太い木材が使われており、本格的なものである。戦後に乱立した鉄筋コンクリートによるお手軽復元ではなく、近年のトレンドとなっている出来るだけ当時の様子を忠実に再現するという方針に沿ったものなのだろう。

 

当時の遺構の堀と石垣           復元された巽櫓

 

     復元された東御門        東御門には青木ヶ原切り出しの巨木が

 残存する遺構が少ないので、往事の姿は想像するしかないが、何重にも堀をめぐらせた規模の大きい平城だったのだろう。ただその縄張りからは、戦争を行う城としての堅固さよりも、どちらかと言えば政庁としての機能の方が強そうな気がする。

 なおこの城のように、かつての城郭がそのまま県庁や軍隊の駐屯地となって、結果として遺構がほとんど失われてしまったという例は実に多い。非常に勿体ないように思われるのだが、当時は城郭が文化遺産としては認識されておらず、むしろつい最近まで実際に機能していた政庁&軍事拠点だったのだから、これも致し方ないことなのだろう。例えば、これからアメリカが没落して日米軍事同盟が破棄されたとして、明け渡された米軍基地を文化遺産として残そうなんて思う者は誰もいないだろう。

 これで静岡での予定は終了。後は東京に移動するだけである。まずは静岡から熱海までJR東海エリアを普通列車で移動。沿線はしばらくは静岡の市街が続くが、清水を抜けた辺りからはまた周囲は閑散とし始める。由比辺りで少し海が見えるが、すぐに路線は再び内陸に入る。富士駅ではもやにかすんだ富士山がボンヤリと見え、ここで見延線と分岐。御殿場線の出ている沼津を過ぎると三島に到着。ここから大量の乗客が乗り込んでくる。その後、延々と長いトンネルを抜けるとようやく熱海に到着である。

 熱海からはJR東日本エリアになる。ここで乗り換え。JR東海の思惑なんて関係ないJR東日本は、この区間に快速アクティを走らせているのでこれに乗車。とはいうものの、やはり速度は新幹線とは比べるべくもない。また線路が悪いのか嫌な揺れ方をする。結局は1時間半かかって東京に到着。この日は東京駅の地下で夕食を済ませると、そのままホテルに入り、大浴場でゆっくりと疲れを癒す。この日は清水での移動と駿府城見学が効いたのか、1万3千歩を越えていた。浴槽内で足をマッサージしていると、この日に歩きすぎたのか突然に右足がつってしまって慌てる羽目になる。何とか足を回復させて、いつもよりゆっくり目に風呂に入ってから就寝する。

 

 翌朝の予定は9時30分から上野。だからこの朝はゆっくりと眠れる・・・はずだったのだが、悲しいかなサラリーマンの性で早朝に目が覚めてしまう。寝直すには中途半端だし、仕方ないのでそのまま起きてしまってボーっとテレビを見ながら時間をつぶし、9時前頃にホテルを出る。南千住から上野まではJRですぐ。まずは最初の目的地に。到着した時には既に500人程度の行列が出来ていた。


「大琳派展」東京国立博物館で11/16まで

 

 琳派とは尾形光琳が開いたといわれる日本画の一派であり、その後の日本美術の発展に狩野派と共に大きな影響を与えている。本展ではその尾形光琳に影響を与えた琳派の祖とも言える俵屋宗達、本阿弥光悦、さらに光琳の弟で陶芸の世界を中心に独自の活躍をした尾形乾山、さらに光琳の後継者と言える酒井抱一とその弟子の鈴木其一の6人に注目して、その作品を展示している。

 目立つのは俵屋宗達の有名な風神雷神図を元にして、尾形光琳らがさらにアレンジを加えた作品。どうやらこのモチーフ自体は琳派では汎用的に用いられたものらしいが、それぞれの独自の解釈が加わっていて興味深い。

 なお個人的には最も面白いと感じたのは酒井抱一の作品。彼自身は琳派だけでなく狩野派や浮世絵の手法も習得しているとのことで、表現の幅が広く、単純に光琳を後継しているわけではなく、かなりの独自色が出ている。画題に合わせて表現を使い分ける器用さも見られ、かなり懐の深い画家である。実に興味深い。


 国立博物館を後にすると、次の目的地へ。ただしその前に少し寄り道をする。


「菌類のふしぎ」国立科学博物館で1/12まで

 看板からしてこれ

 菌類は我々にとって身近な生物であるし、また発酵食品や食用キノコなど、生活に利用もしてきた。その菌類について紹介する特別展・・・なのであるが、その実態は「大もやしもん展」。確かに科博らしく学術的な展示はあるのだが、最も人気を博していたのは海洋堂提供による「もやしもんミュージアム」。しかも原画展からグッズ販売まで異様に力が入っており、場内全体「かもすー」が満ちている状態。

 もやしもんミュージアム

 今まで地味な日陰者だった菌類研究者が、突然に脚光を浴びるようになって少々はしゃいでいるのは分かるが、さすがにはしゃぎすぎなのでは。ちなみに私は個人的には菌類は苦手。それにO−157と記念写真を撮影するというセンスにはついていけない。


 次は西洋美術館に移動。実は本展が今回の東京遠征実行の最大の目的の一つである。ただ今朝はまだ朝食を摂っていないせいで少々腹が減った。もうそろそろ11時を越えている。12時を越えると食堂も混むし、早めに昼食を摂ることにする。

 移動も面倒なので、そのまま西洋美術館のレストランで昼食を摂ることにした。どうせ上野に出ても良い店は知らないし、ここのレストランもCPはともかく、味は悪くないのは以前に確認している。と言うわけでここでランチ(1600円)を摂ることにする。

  

 腹を満たしたところでいよいよ今遠征の最大の目的の一つの展覧会である。


「ヴィルヘルム・ハンマースホイ 静かなる詩情」国立西洋美術館で12/7まで

 

 ハンマースホイは19世紀から20世紀にかけて活躍したデンマークの画家である。室内風景を描いた作品が多く、静けさに満ちた表現で知られている。今まで日本ではあまり注目されたことがなかったのだが、今回初めて大規模な展覧会が開催された。

 確かに静かな絵である。それもそのはずで、例えば屋外の建物を描いた作品でも、なぜかそこには人間が描かれていないし、また室内を描いた作品でも人がいないか、もしくはなぜか後ろを向いた状態の作品が多いのである。そのために静けさというか、寂しさのようなものが常に作品から漂ってくるのである。正直なところ、絵画を見た限りでは作者は対人恐怖症かいわゆる引きこもりではないかと感じたのだが、経歴を聞く限りではそういうわけでもなさそうである(社交的ではなさそうなのは確かなようだが)。

 また現実の光景をそのまま写実するのではなく、彼の目指す表現のために実は再構成されているという風景は、意図的に不自然なところが秘められているので、常に不安定な感じを抱かされて、時にはグロテスクにさえ見えることがある。一見するとごく普通の室内静物画なのだが、場合によってはとてつもない恐怖を感じさせられることさえある。

 妙な意味で非常にインパクトの強い作品である。私としてはこのタイプの作品は初めての体験で、少々驚いた。

 


 さて最大の目的その1はこれで終了だが、実は最大の目的その2が控えている。そのためには渋谷へ移動。例によって通い慣れたる道というイメージのルートを行く。


「ジョン・エヴァレット・ミレイ展」BUKAMURAで10/26まで

 

 多種多様・各人各様の絵画追究で百花繚乱としていた19世紀末〜20世紀初頭にかけて、ルネサンス以前の絵画に戻るという目標を掲げたラファエロ前派の画家として活躍したのがミレイである。

 彼の初期の絵画は神話などに題材を取り、それを卓越したデッサン技術で細密描写した作品が多い。そのような時期の代表作が有名な「オフィーリア」である。湖に浮かぶオフィーリアの幻想的にも見える描写もさることながら、彼女を取り巻く草花のリアルな描写には驚かされる。ちなみにこの絵画についての有名なエピソードは、彼はこの絵画を作成するためにモデルを風呂に入れて描いたのだが、彼が絵画の作成に没頭している間に風呂の水を温めていたランプが消えてしまい、モデルが風邪をひいて訴えられることになったというものがある。確かに半端な集中力では描けそうにない。

 その後、彼の絵画はもっと柔らかいタッチに変化し、イギリス唯美主義と言われる流れに属することになる。この時代の彼の絵画は、かつてのような鋭い精密描写はなくなるが、より暖かく親しみの持てるものに変化する。人によっては、かつての美しいが触れば切れそうなほどの鋭さを秘めた作品より、この時代の作品の方がより好ましく思える場合もあろう。私の目にも非常に魅力的に映った。


 非常にすばらしい展覧会であったが、唯一にして最大の難点は会場の異常な混雑。絵の近くににじり寄るのも困難な状況で、空いているところを探して会場を前に後ろにウロウロすることになったので、かなり時間と体力を費やしてしまった。本当は気に入った絵の前でもっとじっくりと時間をつぶしたかったのだが。ところでミレイは日本では知名度はかなり低い部類の画家に属すると思うのだが、この大人気ぶりはなぜなのだろうか?

 これで本遠征の主目的はほぼ終えたと言える。後はオプショナルツアーのようなものである。途中でおやつ代わりにラーメンを一杯ひっかけて、さっきの展覧会で異常に疲れた分を燃料補給してから、一番近くの美術館へ。途中であの爆発事故のあったシエスパの横を通るが、閉鎖された施設が痛々しい。また裏手には爆発した施設が未だに鉄骨をさらしたまま残っている。献花台に今でも花が供えられているのが生々しい。さすがに報道カメラマンではない私は、ここにカメラを向ける気にはならなかった。

 閉鎖されたシエスパ

 目的地の場所をうろ覚えだったせいで、道に迷って高級住宅街をウロウロする羽目になってしまったが(あまりウロウロしていると不審者と間違われそうだ)、なんとか到着する。


「池口史子展 静寂の次」松濤美術館で11/24まで

 

 彼女の作品を初期のものから最近のものまで展示してあるのだが、その初期には画風をめぐっていろいろと試行錯誤があったのが分かる。最初期にはいかにも今風の抽象画的な楽そうな作品などがあったりするが、次にキュビズム的な作品が登場し、そして最近の幾何学的輪郭が強調された彼女に特徴的な作品に至っているようである。

 芸術家のありがちな変遷は、分かりやすいタイプの作品から、だんだんと独りよがりな訳の分からない作品に突入するパターンだが、彼女の場合は逆で、分かりにくい作品から始まって、最終的には比較的分かりやすい作品に落ち着いたというように見える。で、実際にその分かりやすい作品の方が明らかに面白いのである。


 

 この時点でまだ3時過ぎ。まだまだ今日の予定は終わらない。地下鉄で乃木坂に移動。目的地は言わずとしれている。なおこの展覧会については、実はサントリー美術館でも開催されており、2カ所に分かれて展示されているという奇妙な形態になっており、図録も両館で共通となっている。一応、各館それぞれの展覧会でも中途半端になるということはないような構成になってはいるが、やはり両方回るのが筋というものだろう。と言うわけで新美術館を回った後は東京ミッドタウンに移動する。それにしても何度やって来ても、このビルだけはバブリーで成金趣味で、私はどうしても好きになれない。

 バブリーで成金


「ピカソ展」国立新美術館及びサントリー美術館で12/14まで

 

 ピカソはとにかく画風がコロコロと変化する画家である。そのために実は私はピカソの画風の変遷についてよく把握をしていなかった。本展ではピカソの作品を年代順に展示してあり、その時期の作品をそれぞれ解説しているので、初期の青の時代からキュビズムを経て、新古典主義に展開した後、シュルレアリスムに移行したというピカソの全体の流れを初めて把握できた。

 とは言うものの、展覧会として楽しめたかどうかは難しいところ。やはりピカソの作品は私の趣味とはかなり遠い。やはり私としては、ハンマースホイやミレイの方が数倍面白かったのが事実。


 これで本日の予定は終了である。今日は購入した図録が4冊。しかもいずれも重量級。さすがに荷物の重さが肩に食い込む。この状態では寄り道する気力も湧かない。面倒になってきたので、ここの地下のトンカツ屋「平田牧場」で夕食を済ませることにする。ちなみにこのトンカツ屋。以前に何度か見た時は、なぜか行列が出来ていることが多かったのだが、今日はまだ時間が早いのか、それともミッドタウン自体がオープン時の混雑から落ち着いてきたのか、今日はスムーズに入ることが出来た。

 注文したのは「三元豚の厚切りロースカツ定食(1700円)」。さて三元豚だが、その詳細は知らないが、要は餌に気をつけて育てた豚ということらしい。実際に出てきたトンカツの肉の味は良い。とは言うものの、これが三元豚の効果なのかどうかまでは定かではない。それに味が良いといっても、他のトンカツ専門店と比較して驚くほどうまいというわけではなく、いわゆる普通のトンカツ屋。価格的に見ても、私の感覚では高いと感じるが、東京という飲食店のCPが日本で最悪の地域においては、これで普通なんだろう。

 腹ごしらえが終わったらさっさと地下鉄で撤退。ただ北千住で乗り換えの際に途中下車して、百貨店の地下で夜のおやつを購入しておく。購入したのは栗ドラとあんみつ。実は紀の善に仕入れに行きたかったのだが、さすがに図録を4冊も背負って神楽坂まで寄り道する根性はなかったし、どっちみち既に閉店時間に間に合わなくなってしまっていた。それにしてもホテルのある南千住はあんなに寂れたイメージのある地域なのに、北千住はなんと賑やかなことだろうか。

 この日はやはりあちこち歩き回ったのが効いたのか、なんと2万4千歩。さすがにホテルに帰ってから一気に疲れが出てしまったので、風呂で丹念に疲れをとる。

 さて風呂に入り終わってゆったりしたところで、大人の夜のお楽しみとして帰りに買い込んでいたおやつを取り出す。まあ栗ドラはこんなものとして納得、次はあんみつ。正直果たしてどうだろうかという気持もあったが、やはり私としては紀の善のものの方が趣味にあうが、これも意外にうまい。もしかしてあんみつって東京の名物なのか?

 

 夜のお楽しみも終わってまったりとするのだが・・・。ここでふと悩んでしまう。と言うのは「明日の予定がない」のである。実は今回の東京遠征の当初案では、東京に到着後に2日をかけて近辺の美術館をゆっくり回ろうと計画していたのであるが、この2日分の予定を実は1日で回ってしまったのである。予定の消化が思いの外順調に進んでしまったが故の珍事である。とは言うものの、これでは明日ホテルをチェックアウトしてからすることがない。悩んでいろいろ調査した結果、とりあえず明日の午前中の予定はたったが、問題は午後から。しかし考えているうちに疲れが出てきて眠くなってしまった。もうとりあえず明日は行き当たりばったりだと腹を括ってさっさと就寝してしまう。

 

 翌朝はゆっくりと目覚める。まずは帰りの新幹線の予定を繰り上げようとエクスプレス予約をチェック。しかし三連休の最終日とあって、早い時間帯の新幹線は完全に塞がっている模様。やはり夕方までなんとか時間をつぶさないといけないようだ。もうなるようになるしかないと腹を括ってホテルをチェックアウトする。

 さて昨晩に急遽引っ張り出してきた午前中の目的地は府中市美術館。東京のややはずれにあるこの美術館は、今までの東京遠征の際にはたまたま訪問ルートからはずれ続けてしまっていた。そこでこの際だから訪問しておこうというもの。とりあえず東京駅に移動して例によってロッカーにトランクを放り込むと、中央線快速で新宿まで移動。そこで京王線に乗り換える。

 京王線は典型的な都会の私鉄。私が乗り込んだ準特急も乗客が満員である。府中は地図などで見るとかなり遠いイメージがあったが、準特急では3つ目の駅。市街地を疾走する京王線で行くと新宿からはすぐそこである。

 府中駅に到着

 府中駅からはちゅうバスというコミュニティバスが2本/時運行されている。到着したバスは小型の天然ガス車。乗車1回辺り100円の定額制である。また府中市の市街は典型的な郊外の住宅地。世田谷に行った時と同じ雰囲気で、都会育ちの私には懐かしい感覚がおこる市街である。目的とする美術館は住宅街の中の公園にあった。


「パリ ― ニューヨーク 20世紀絵画の流れ」府中市美術館で11/3まで

 19世紀において百家争鳴的に花開いた前衛芸術は、20世紀においてその中心がパリからニューヨークへと移動し、アメリカで発展することとなった。そのような前衛芸術の流れを示す展覧会。

 なのであるが、前衛芸術の大半が粗大ゴミにしか見えない私には、展覧会出展作の80%以上が全く興味なしという悲惨なことになってしまった。何を描きたいのか分からない独りよがりの抽象芸術はあくびが出るし、ウォーホルのマリリン・モンローとリキテンシュタインのアメコミはもう勘弁して欲しい。デュシャンの便器がなかったのがせめてもの救い。


 府中市美術館の見学を終えると、再びコミュニティーバスで府中駅に移動、そのまま新宿まで戻る。新宿に到着した頃にはちょうど昼頃。さてどうするかと考えたところで、とりあえずは昼食のために紀の善に行こうと思い立つ。

 通い慣れたる飯田橋に到着すると紀の善へ。幸いにして今日は行列がなくスムーズに入店できる。私はとりあえず「鳥釜飯(1155円)」を注文して料理が到着するまでメニューを見ながらボンヤリと考え事をする(釜めしは注文してから20分はかかる)。その時、メニューにくず餅があることに気づき、ふと思いついて追加注文をする。

 実は私は以前にとあるところでくず餅を食べたことがあるが、その時には「わらび餅に比べて相当劣る」という悪い印象しか持たなかったのである。では、なぜ今回突然にくず餅を注文したか。それは私が以前に食べたものが本当に正しかったかを確認をしておく必要があると思ったからである。

 くず餅は釜飯を待っている間に到着した。見た目は以前に食べたものと大して変わらない。とりあえず一口。「あっ」と声が出る。「うまい」。この時に私は、くず餅という食べ物がまずいのではなく、私が以前に食べたくず餅がまずかったのだということを確認したのである。私は今までくず餅に失礼な偏見を抱いていたようである。やはりある料理について判断するには、キチンとしたものを食べてから判断しないととんだ間違いを犯してしまう危険があるということを再認識する。

 少ない事例に基づいた思いこみで判断を失敗する例は、人間を見る時なども同様である。変な先入観を持って人物を見てしまったり、その人物の特定の部分にだけに気をとられると、その相手の本質を誤解することがある。よく人事のプロなんかで「私は初めての人物でも一目見ただけで人となりを見抜くことができる」と豪語する者がいるが、その手の人間の大抵は第一印象から得た先入観で相手を見続けて、その先入観に合致する部分だけを抽出して納得しているだけである。注意すべきことである。

 くず餅を食べ終わったところで釜飯が到着。これが今日の昼食である。昼食を食い終わって一服。腹がふくれるとようやく頭に栄養が回ったのか、午後の計画を突然に思いついた「浅草に行こう」。

 思い立ったが早いか、飯田橋から地下鉄で移動することにする。路線図を見ると都営地下鉄で行けそうである。とりあえず蔵前で大江戸線から銀座線に乗り換え・・・なのだが、看板の案内に従って改札を出て、地上に上がった途端に唖然とする。「銀座線蔵前駅まで250メートル」の表示が。「なんだこりゃ!」思わず声が出る。以前から東京の地下鉄に感じていた大きな不満は、とにかく駅での乗り換えで歩かされることだ。路線図で見ればすぐに接続しているように書いてあっても、実際は階段を上ったり下りたりととにかく移動距離が長い。接続と言えばせいぜい階段を1つ登ればそれで終わりというのが常識の関西人としては、これは耐え難いものである。その接続の不便もまさに今回は極まれりである。これでは接続駅ではなく「隣の駅」である。大阪でこんな距離で「接続」などと名乗れば、多分怒って鉄道会社に怒鳴り込む客がいるのではないか。東京人はつくづくよくこんな理不尽に耐えているもんだ。

 ようやく浅草に到着。駅から出るやいなやあまりの人混みに唖然とする。浅草は「お年寄りの原宿」などと呼ばれているのを聞いていたので、高齢者がほとんどだろうと思っていたのだが、いざ現地に行ってみると若者も結構多い。また外国人観光客が非常に多く、よく分からない言語が飛び交うインターナショナルな世界である。確かに原宿と違ってガキはいないが。

 

 雷門から有名な仲見世になるのだが、人通りが多すぎてとても歩けるものではない。私はさっさと裏通りに入るとそこを通って浅草寺に向かう。浅草寺はこれまた観光客が一杯。あちこちでカメラを構えている姿が見られる。私はいつもkissデジをぶら下げて歩いているが、この姿はとにかくどこに行っても浮くのを感じていたのだが(おかげで職業カメラマンと間違われることが頻繁で、この前なんか記者と間違われた)、ここだけはこの姿でも全く浮くことがないようだ。とりあえず浅草寺に参拝をすませると、周辺をしばしウロウロ、おみやげを購入などして時間をつぶしたのだった。

 

 浅草寺は私が想像していたよりも遙かにインターナショナルな世界だった。驚いたのは常に英語の案内が流れていたこと(なぜか日本語の案内はない)。こういういかにも日本的なコテコテな世界は外国人にはエキゾチックで魅力的なのだろう。ちなみに私にとっては、何となく懐かしくて落ち着く雰囲気。正直なところ、東京で一番しっくり来ると感じた場所である。

 

 夕方には東京駅に戻り、新幹線で帰途につく。ちなみにこの原稿は新幹線の車中で執筆している。N700系はコンセントがあるので便利である。なお当然のことながら、帰りの車中でのおやつは紀の善で購入した抹茶ババロアである。

 さて今回は旅費の節約のために、静岡から東海道線で東京に移動などという策略を駆使したが、やはりこれはかなり無理があるということを痛感。帰りにのぞみがあっという間に熱海や静岡を通過するのを見て、こりゃとてもやってられんなと感じた(往路では静岡から熱海までが1時間半、熱海から東京までがさらに1時間半かかっている)。長時間の乗車は体調こそ崩さなかったが、身体にかなり疲労を溜める。

 ただそれとは別に、静岡という都市にも私は相性の良さを感じたのが事実。いずれはこの地域の鉄道の乗りつぶし・・・でなくて、地域視察のために再訪の必要は感じた。具体的には来年度辺りにスケジュールに浮上しそうである。なんか各地を訪問すれば訪問するほど、新たに訪問しないといけない場所が増えているような気が。まるで返しても返しても借金が増えていくサラ金地獄のようである。やっぱり泥沼にはまってるな・・・。

 

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