展覧会遠征 島根・岩国編

 

 さて大型遠征が相次いだ今年の夏だが、さすがにそろそろ軍資金が尽きてきた。と言うわけで多分これがこの夏の最後の大型遠征になるだろう。今回の遠征は島根から広島に至るという中国地方縦走の遠征である。

 出発は例によって金曜日。新幹線で岡山に到着すると、そこから特急やくもに乗り換えて移動である。青春18の使用も考えたのだが、さすがに伯備線全線を普通列車で走破するのでは時間がかかりすぎる。ここは無理をせず特急を利用することにした。そう言えば数年前に松江に行った時も特急やくもだった。何とも懐かしい気がする。

 今朝は朝食も摂らずに飛び出してきたので、やくもに乗り込むととりあえず腹ごしらえ。定番の幕の内弁当(1000円)を車内販売で購入する。駅弁はCPはあまり良くないのだが、旅先ではどうしてもこれを食べることが多くなる。特に私の場合、なぜか特急に乗ると弁当を買ってしまうので、余計に金がかかるのである。

 やくもは左右に車体を揺らしながら(振り子列車である)伯備線を突っ走る。しかし伯備線の風景はもはや見慣れた感があるし、やはり振り子電車は振り子ディーゼルに比べて今一つ乗っていても魅力を感じない。そうしているうちに昨晩就寝時間が遅かったのが効いてきて、ウトウトとしてしまう。次に目が覚めた時には米子の手前までやって来ていた。右手に大山が見え、車内アナウンスで大山の紹介がされる。ここまで来るともう山陰である。

 米子に到着するとここで乗り換え。今日の第一目的地は境港市である。境港まではJR境線が走っているが、ここは未調査路線。今回の遠征の主題は別にあるのだが、とりあえずは「21世紀の地域振興と交通について考える市民の会代表(自称)」としてのサークル活動から開始することにする。

 境港市は地元出身の水木しげるを前面に押し出しての観光開発で知られているが、境線が発着する米子駅0番ホームはすでに水木しげるワールドになっている。この路線は各駅ごとに妖怪名の愛称がついており、米子駅はねずみ男駅となるらしい。ホームにはねずみ男の像が立っている。なお境線は一部電化されているが、大部分が非電化単線路線なので、ホームにはペイントされたキハ40系ディーゼル車が。猫娘号と鬼太郎号の二両編成である。車外のみならず車内もペイントされたかなり派手な列車である。

 米子駅はねずみ男駅

 

     猫娘号                   鬼太郎号

 猫娘号の車内風景

 夏休みということもあってかホームは人でごった返しており、乗車率も100%を超えている。水木しげるを前面に押し出した観光戦略は功を奏しているようである。境線沿線自体は米子周辺は住宅地であるが、途中からは閑散として郊外の風景になる。小集落ごとに駅がある印象である。

 乗客の大部分が観光客とみられ、ほとんどの乗客が終点の境港駅まで乗車している。40分ほどで境港駅(鬼太郎駅)に到着、ここから水木しげる記念館を目指すことになる。とりあえずトランクをロッカーに入れておこうと思ったのだが、なんとロッカーに空きがない状態。観光客の数に比べてロッカーが少なすぎるのである。仕方ないのでトランクを引っ張ったまま水木しげるロードを進むことになる。

 境港駅前には水木しげる氏が座っております

 水木しげるロードは妖怪満載。妖怪の像が沿道にあるだけでなく、街灯まで目玉親父になっているのは爆笑。妖怪をのぞいてしまえばなんてことのない地方都市の商店街なんだろうが、妖怪を前面に出すことで町の特色が出ているし、観光客も集まってきている。境港市の観光開発はかなり成功しているといって良いだろう。

 

目玉親父の照明に鬼太郎の像

 妖怪神社や妖怪饅頭なんて看板を通り過ぎながら、10分ほど歩いたところで水木しげる記念館に到着する。水木しげる記念館はその名の通り、水木しげるの生涯をたどる展示と妖怪展示など。意外とこじんまりとしているので、特に水木しげるにも妖怪にも興味のない私の場合、見学は10分ほどで終わってしまう。

 

ラーメン屋に           水木しげる記念館

 水木しげる記念館を出た後は、近くで土産物を購入してそのまま境港駅にUターンする。結局のところ、境港滞在時間は40分程度で、そのまま鬼太郎列車で米子に折り返す。帰りの列車は途中から大量の中学生が乗車してきて乗車率200%以上の満員状態。今までこんなに乗客の多いローカル線は初めてである。

 帰りも鬼太郎号

  車内風景

 米子駅に戻ってくると、そこからタクシーで次の目的地に移動する。なお以前にも説明している通り、私の遠征の主目的はあくまで「美術館巡り」である。決して全国ローカル鉄道の旅でも、温泉巡りの旅でも、グルメツアーでも、お城巡りでも、洞窟探検でもない。今回もそもそもの主目的は山陰地方の美術館巡りであり、境線乗車はあくまで通りすがりのついでなのである。

 

 米子駅


「葉祥明展−もっと好きになるために」米子市美術館で8/24まで

 葉祥明は画家・詩人・絵本作家として活躍しているアーティストとのこと。本展は彼の絵本原画を中心として展示している。

 地平線の広がるだだっ広い空間の中央に、ちょぼんとキャラクターを置いているというのが本展出展作の共通パターン。その画面からは寂しさと暖かさと柔らかさと冷たさが入り交じった奇妙な感慨を受ける。自然の大きさと人間の小ささを対比する意図があるのであろうか。簡単に描いているように見える作品だが、彼は画家として的確なデッサン力を有しているようなので、すべては計算づくでの効果なのだろう。一風変わった感銘のある作品である。


 美術館の鑑賞を終えた後はバスで駅まで戻ってくると、再びJRで今度は安来に移動である。安来駅は改装されたのか以前に来た時と駅舎の様子が変わっている。次の目的地は足立美術館。美しい日本庭園と横山大観のコレクションで知られ、全国から観光客を集めている美術館である。私は既に2回訪問しているので、時間に余裕がなかったら省くつもりだったが、ここまで予定の分刻みのタイムスケジュール通りにすべてが進んでいるので、予定の第1案に従って立ち寄ることとした。安来駅前からシャトルバスが出ているのでこれに乗車する。マイクロバスに乗客が十数人。やはりまだまだ人気は高そうである。

 安来駅は改装された模様

 足立美術館に到着すると、館内に入る前に美術館前の吾妻そばで昼食を先に済ませることにする。この時に注文したのは「とろろ付割子そば(1000円)」。ここの蕎麦屋は実は結構有名なのだが、いかにも出雲そばらしい不揃いでしっかりした麺が特徴。空腹でもあり美味でもあったので、さらに皿を2枚追加する(初期設定は3枚)。しっかりとそばを堪能して腹ごしらえの終わったところで入館する。

 


「もっと楽しもう!日本画の世界」足立美術館で8/30まで

 

 足立美術館の収蔵作品の代表的な日本画を選び、それらに楽しみ方のポイントを示した解説を付けた夏休み向け企画。

 確かに初心者にとってはこういう企画は作品に対する理解を深めるのに有意義であろう。ただ残念ながら私の場合はもはや初心者レベルではなく中級者レベルにあるらしく、今更改めて説明してもらう必要のあるものはなかった。

 なお当館は既に3回目の訪問になるので、コレクション作品については一度は眼にしたことがあるものがほとんどであった。それでもやはり川合玉堂や橋本関雪の作品はすばらしい。


 相も変わらず庭園の美しさは見事であった。お金と時間に余裕があれば、庭園の見える喫茶でゆっくりとしたいところであるが、今回はその余裕がないので(と言うか、今回に限らずいつでも余裕がない気がするが)、直ちにシャトルバスで安来駅にとんぼ返りすると、今度は松江まで移動。ここからは市内循環バスで次の目的地へ移動する。


「ジョットとその遺産展」島根県立美術館で9/1まで

 ジョットは人間中心の芸術が開花したルネサンスの先駆けと見られる画家で、13〜14世紀にかけてのイタリアで活躍したという。彼の宗教絵画はそのリアリティに満ちた人間表現において、中世暗黒時代の宗教絵画と一線を画しており、後にダ・ヴィンチなどによって絶賛され、「西洋絵画の父」とも呼ばれるという。その彼が手がけた代表的な壁画などと、彼の影響を受けたその後の時代の作家達による宗教絵画を展示したのがこの展覧会である。

 確かにジョットの作品については非常に面白いものを感じる。中世の宗教絵画はとかく私の目から見ると定型的すぎて芸術的価値はほとんど感じられないものが多いが、彼の作品については強烈なオリジナリティを感じるし、イエスや聖母の姿を借りての人物表現は芸術としての域に届いていると感じる。

 しかしながら本展の場合、他の作品が私には今一つ。さすがに同じパターンの聖母子像ばかりでは飽きが来る。さらにはレベルとしてはジョットが傑出しており、他にはその域に迫れている作家は見つからなかった。


 実は本展が今回の遠征の一番の目的だったりするわけだが、正直なところアンチ宗教の私には宗教系の絵画はあまり相性がよくなかったようである。同じ聖母子像でももう少し人間くさい作品のほうが私の好みに合いそうだ(ムリーリョとか)。

 主目的を済ませた後は、再び「21世紀の地域振興と交通について考える市民の会代表(自称)」としてのサークル活動に突入する。実は松江で有名な鉄道として出雲と松江をつなぐ一畑電鉄がある。現在はJR山陰本線もこの辺りは電化されているが、かつては非電化でSLが走行していたので、今でも松江の高齢者はJRのことを「汽車」と呼ぶというが、彼らが「電車」と呼ぶのがこの一畑電鉄である。なお私は実は学生時代(かれこれ20年以上前になる)にこの一畑電鉄に乗車しているが、この時にはかなり老朽化した電車が、ガタガタの線路を脱線するのではないかという勢いで突っ走っており、ほとんどサスペンションが効いていない車内は上下に激しく揺れ、乗客は揺れのたびに全員椅子から尻が浮いていたというのが強烈に記憶に残っている。

 新しくなったしんじ湖温泉駅と車両

 

 20年以上ぶりに訪れた松江しんじ湖温泉駅は、新しい建屋に建て替えられていた。また驚いたことに車両も新造のセミクロスシート車両が導入されている。これではまるで一畑電鉄ではないようだなどと奇妙な驚きをしてしまう。しかし走り出すや否や、やはり一畑電鉄であることを瞬時に理解するのである。さすがに以前よりは電車のサスペンションがよくなっているので、シートから尻が浮くということこそないが、やはり車両は上下に飛び跳ねており、2両編成の連結部を見ていると、連結器がぶち切れるのではないかと思うぐらいに車両が上下左右に激しくよじれている。どうやら車両は進化しても路線の方は相変わらずのようである。

 ただ、よく揺れる列車にもかかわらず乗客は結構多い。1+2のセミクロスシートは大体埋まっている。列車はそのまま宍道湖を南に見ながら湖岸を疾走(というほど速くはないのだが)する。しばらく走行すると一畑口でスイッチバックして、前後方向が入れ替わるので、転換クロスシートの背もたれをひっくり返す。この駅辺りから宍道湖沿岸を離れ、やがて出雲大社行きとの乗換駅である川跡を過ぎると、10分ほどで電鉄出雲市駅に到着である。

 出雲市駅に到着

 一畑電鉄は以前に訪れた時も地元民の足という印象が強かったが、その位置づけは未だ変化はしていなかったようである。山陰地区の過疎化の進行は著しいので、沿線人口の減少に伴う旅客の減少はあると思うが、頑張ってもらいたいところである。現在のところは1時間に1本は確保されているようなので利便性もあると思われ、十分に頑張っているとは感じるが。

 JR出雲市駅

 出雲市に到着するとホテルにチェックインする。今回宿泊先にしたのが出雲グリーンホテルモーリス。部屋は結構ゆったりとしており、大浴場付きという私好みのホテル。さらに新聞のサービスや雑誌の貸し出しなど細かいサービスがありがたい。しばらくはホテルでまったりとしてから、夕食のために町へと繰り出す。

 ホテルの部屋はゆったりとしている

 飲食店が多いのは駅の反対側(北側)。ざっと見渡すがあまりピンとくる店がない。そこで適当に目についた「漁師料理の店」と書いてある店に入って、焼き物や小鉢などがセットになっているメニューを注文する。さすがに魚は結構美味しいのだが、料理全体に強い印象はなし。ここの店の名物は鯖のしゃぶしゃぶらしいので、それを注文しなかったのが失敗か。ただ私の場合、鯖はグレー食品(アレルギーが出る可能性がある)ので特に旅先では避けたいということはあったし・・・。

 コンビニで若干の食料を買い込んで帰ると、大浴場でゆっくりと疲れを抜く。やっぱり手足を伸ばして入れる風呂は最高である。またありがたいことにここのホテルの脱衣場には無料のマッサージチェアまである(大抵は有料のところが多いのだが)。これでゆっくりと身体をほぐす。今日は境港ウォークなどで1万7000歩。十分に疲れを抜いておかないと明日に響く。風呂から上がるとテレビを見ながらしばらく休憩。落ち着いてきたところで就寝する。

 翌日は7時に起床。まずは朝食。このホテルの朝食はバイキング形式だが、和洋どちらでも対応で質量共に十二分。とりあえずはしっかりと朝食を腹に叩き込む。その後は荷物をまとめるとチェックアウト。出雲市駅は目の前だからアクセス抜群である。いろいろな面で私の要求を的確に満たしているホテルであった。なかなか良いホテルなのでまた来ることがあれば利用しても良いが、出雲に来ることなんてあるんだろうか?

 駅に着くと米子行きの普通列車が到着している。米子−出雲市は電化されているのだが、それ以外の区間が非電化のせいか、待っているのはディーゼル車両であった。しかし乗り込んだは良いが、出発時間になっても一向に動く気配がない。どうもどこかでダイヤの遅れが生じているのだろう。単線路線はどこかで遅れが生じると、それが全体に波及するのが一番のリスクである。特に山陰本線のような特急と普通列車が入り交じって走行している路線では影響が大きい。結局は列車は5分ほど遅れて発車する。

 乗り換えの宍道までは20分弱。この路線は宍道湖のそばを走っているイメージがあるが、実際には宍道湖からかなり離れた都市部を走行している。やがて列車は宍道に到着、木次行きの普通列車が出発時間を過ぎていたが、乗り換え客を待って止まっていたので乗り換え。多分待ってはいるだろうと思っていたが、もし時間通りに出てしまっていたら後の予定が滅茶苦茶になるところだった。

 ここからは木次線になる。木次線は宍道から備後落合を結ぶ単線非電化路線。以前に視察した三江線と同様、陰陽連絡経路であるものの沿線人口の減少とモータリゼーションの進行で乗客数の減少に悩んでいるローカル線の一つである。私としてはこの地域に残っている唯一の未調査路線なので、この度は現地調査に訪れたという次第。今回の遠征の2日目の主題は「21世紀の地域振興と交通について考える市民の会代表(自称)」としてのサークル活動ということになる。

 木次行き列車は見慣れたキハ120型気動車。車内は満員状態でかなり乗車率が高い。列車は住宅地域を離れて山岳地帯に突入していき、車窓は典型的なローカル線風景に。車内には明らかに観光客が多いが、中には大型カメラをぶら下げたかなりベテランの鉄道マニアらしき面々も。

 木次線で木次駅に到着

 山岳地帯を縫って、30分ほどで山間の町というイメージの木次に到着。ここでトロッコ列車の奥出雲おろち号を待つ。やはり先ほどの列車の乗客はそのほとんどがこの列車に乗る予定だったらしい。やがてレンズの砲列が待ちかまえる中に、奥出雲おろち号が到着する。鉄道マニアもただの観光客も一緒になって一斉に撮影大会。鉄道マニアではなく、あくまでこの地域の調査に訪れている私も、彼らと一緒になって一応記録写真を残しておく。辺りを見回してみると、どうやらどこかのテレビ局の取材チームらしき一団もやって来ている。どこかの民放のようだなと思っていたら、テレビ東京の取材チームとか。またこの辺りを舞台にした紀行番組でも作るのだろうか。

 到着した列車はトロッコ車両と客車の2両編成の後ろに機関車を連結した編成。この機関車はDE15型というそうな。かなりの急傾斜の路線を走行するので、パワーのあるディーゼル機関車で後ろから押し上げるという構成になっており、先頭のトロッコ列車に運転設備が装備されているので、制御はそこから行うらしい。先頭の2両は動力を持たない客車であり、12系という国鉄時代の古い客車を改造したものらしい・・・が、鉄道マニアではない私にはどうでも良いことではある。

  

 乗車率ほぼ100%の列車は、テレ東スタッフのカメラに見送られながら木次駅を出発すると、すぐに深い山の中に入っていく。トンネルが続く部分もあるが、そんな時にはこの列車のネーミングの由来でもあるおろちの電飾が天井で輝くようになっている。観光列車としての仕掛けには事欠かない。さらに駅ごとに出雲神話にまつわる看板などが掛かっており、この辺りは境線と同じ観光客向けの仕掛け。

 今回の遠征では天候が一番心配だったのだが(昨日は山口地方は豪雨だったと聞いている)、昨晩には雨が降ったようだが今日はすっかりと晴れ渡っている。また前回にしまんとトロッコに乗った時ほどの厳しい暑さはなく、絶好のトロッコ日和。これはラッキーだったとつくづく思う。やはり私の日頃の行いの良さか。風を浴びながら青空の下の山の風景を堪能する。

 

  天井にはおろちの電飾が      駅ではボランティアによるパフォーマンス

 この列車は地元の負担で運行されていると聞いているのだが、地元の観光にかける生き混みのようなものが伝わってくる。とにかく列車が到着するごとに各駅での歓迎ムードが異常に高く、通行人までが列車を見かけると手を振ってくるのには驚き。途中の駅ではボランティアによるパフォーマンスがあったりなど、とにかく気合いが入っている。また各駅ごとに物販のワゴンが乗車してきて、みやげものや弁当の販売がある。以前に三江線で空きっ腹を抱えた苦い経験から、私は非常食としてパンを買い込んで来ていたのだが、どうやらその必要はなかったようである。私は途中でおやつにプリンと昼食として地元牛を使用したという仁多牛弁当(1000円)を購入する。まあ牛丼弁当のようなもので、駅弁らしくCPはイマイチと言えるが、保温箱に入れて温かいものを販売に来るのでなかなかに美味。弁当としては結構満足度は高い。また亀嵩駅ではそばの販売などもあり、事前に予約を入れていた客がそれを受け取っていたが、私は別に車内でそばを食べる必要はないと思っていたのでそれはパス(出雲そばなら、昨日安来で堪能しているし)。

 

 やがて列車は出雲横田駅に到着。ここでしばらく停車するが、乗客は一斉にペットボトルを持って駅の端の方に向かって走る。ここの駅の構内には「延命水」と呼ばれるわき水があり、この地域のタヌキがこの水を飲んで長寿を誇っていたといういわれがある。私もひしゃくで少しすくって味見してみるが、ひんやりしていてなかなか美味。旅先で腹をこわすリスクは避けたいので(私は胃腸が弱い)がぶ飲みは避けるが、これで私も少しは長寿にあやかれただろうか。

 延命水

 出雲横田を出た頃からいよいよこの路線のクライマックスになる。まずはここからはかなりの急斜面になるので三段式のスイッチバックで登っていくことになる。進行方向を変更すること二回、下の方に通ってきた線路が見えることからかなり上昇したのが分かる。そして傾斜を登り切ったところで見えるのが絶景。この地域には奥出雲おろちループと呼ばれる道路が通っているが、この地域の急斜面を鉄道がスイッチバックで切り抜けるように、この道路は巨大なループ橋で切り抜けているのである。そのループ橋が眼下に見えるこの地域がこの路線の最大の眺望名所である。ここでは全乗客が一斉にシャッター音を鳴り響かせる。私も彼らと一緒にシャッターを押しまくったのだが、やはりいかに写真を撮ってもこの風景の圧倒的な威圧感は写真では再現不可能。つくづく己のカメラ技術の未熟さを思い知られるのである・・・。

 スイッチバックを抜けて

 

 絶景ポイントを通り過ぎた後は、目の前がゲレンデという三井野原駅に到着。ここでおろちループ目当ての乗客が数人降車。ここからはおろちループを横に見ながら山を下っていくサイクリングコースがあると聞いたことがある。またこの沿線には温泉地などもあるようなので観光にも良いかも。

 列車はやがて終点の備後落合駅に到着、ここから三次行きの芸備線列車に乗り換えることになる。備後落合は山間の全く何もない駅だが、なぜか駅前に大型の観光バスが停車している。どうやらここまでおろち号に乗ってきた乗客を収容するか、これから帰りのおろち号に乗客を送り出すかのどちらかの模様。おろち号に乗車することを目的としたツアーでもあるのだろうか。やはりとことん観光列車である。

 備後落合に到着

 ここから先は以前に中国地区遠征で通ったルート。列車も乗り慣れたるキハ120型気動車の単両編成である。山間の路線をえっちらおっちらと抜けると三次に到着。ここからは快速みよしライナー(キハ40系単両編成)に乗り換えて広島までである。みよしライナーは乗車率が高くて100%以上。しばらくはいかにもローカルな光景が繰り広げられるが、それが突然に市街地めいてくるとそこが広島である。広島に到着した頃にはすっかり夕方になっていた。

 快速みよしライナー

 広島は私がよく行く土地であるが、残念ながら未だに定宿と定められるようなホテルに行き当たっていない。今回選んだのは、最近になって新築されたというホテル。しかし確かにデザインは洒落ているのだが、設備的にはイマイチ。とにかく宿泊料の割には部屋が狭すぎる。照明の明るさも私には不十分だし、従業員のサービス態度もイマイチ、また翌日の朝食もイマイチということで非常に不満の残るホテルであった。今まで宿泊したところのいずれも「帯に短き襷に長し」というところばかりで(今回のところは帯にも襷にも短かったが)しっくり来るところがない。私が広島での定宿を確保できるのはまだ先のようである。

 ホテルに荷物を置くと、夕食のために広島の市街地に繰り出す。一軒、当てにしていた店があったのだが、なんと本日は満席とのこと。どうもこの店とは以前から縁がないらしい。次に行く時には予約を入れておくべきなんだろう。仕方ないので他の店を探すが今一つピンとこない。そうこうしているうちにお好み村の近くに来たので、お好み焼きでも食べとこうかと思いつく。しかしいざ建物の中に入ってしまうと似たようなお好み焼きやばかりで選別のしようがない。諦めて適当に一軒のお好み焼き屋を選んでいかやエビなどの入ったミックス焼きを頼む。

 結論としてはこの選択は失敗だということになる。決してまずい店というわけではなかったが、あまりに特徴がない。それに一番根本的な問題は、焼き上がったお好み焼きを鉄板の上で食べさせる店は、食べている内にお好み焼きが絶対に焼けすぎになるということである。やはり店を選択する時は、皿に入れて出してくる店を選ぶべきだろう。

 広島での夕食は何とも中途半端なものになってしまい、結局この日は広島駅地下のスーパーで半額になった穴子寿しとカットパインを買い込んで帰ってきたのだった。何か私の遠征によくあるスタイルになってきたな・・・私の遠征では夕食はスーパーの半額寿司というのは定番だったから。

 広島はテレビのチャンネルが少ないので退屈だし、この日はほとんど一日中列車に乗り続け(の割には、広島繁華街ウォークなどで1万歩を超えている)でかなり疲れたので、風呂で汗を流すとさっさと床に就く。こういう時もやはり大浴場付きのホテルにするべきだったとつくづく反省する。

 

 翌朝は6時に起床。とりあえずはホテルで朝食を済ませると、そのままチェックアウト。広島駅へと向かう。今日はここからさらに岩国まで足を伸ばす予定である。ホームに到着すると下関行きの普通列車がやってくるが、車内は満員の模様なのでこれは見送り、次の岩国行きに乗車する。これが座席の狭さでは悪評高い115系のボックスシート型のセミクロスシートタイプ車両。幸いにして車内がかなりすいていたのでボックス1つを占拠できたので良かったが、長距離は絶対に乗りたくないタイプの車両である(かつてこの車両で宮島−糸崎を移動して、狭さのあまりに足腰がガタガタになった)。

 

山陽本線の115系車両と悪名高いボックスシート

 この路線は以前に西国周遊遠征の時に乗車しているので、車窓には特別に珍しいものはない。宮島辺りの風景を眺めながらボーっと50分ほど乗車していると岩国に到着、そこから錦川鉄道が使用している0番ホームへと移動する。

 錦川鉄道は、元々は国鉄によって岩国と山口線の日原を結ぶという壮大な構想の下に建設された岩日線の成れの果てである。錦町まで開業したところで国鉄再建法によってその先の建設は凍結、開業していた路線も第3セクターとして存続することになったという経緯がある。なお錦町から先は六日市まで路盤の建設はほとんど完成していたとのことだが、この区間は線路が敷設されることがないまま放置されることとなった。そこで錦町からその先の雙津峡温泉までの区間には山口きらら博で使用された牽引型遊覧車「とことこトレイン」が運行されているという。

 ホームに到着すると、錦川鉄道の新鋭車両NT−3002型ディーゼル車両「ひだまり号」が停車している。転換クロシート型のセミクロスシート車両でかなり新しい。同社では設立時に運行していた旧型のNT−2000型車両を順次この新型に入れ替えているようで、適切な投資は行われているようである。

 

 列車は岩国を出ると川西駅まではJRの岩徳線を走行する。そう言えば、この岩徳線もまだ未調査路線であった。岩国と徳山をつなぐルートは2本あるのだが、海側のルートが山陽本線であり、山側のルートは岩徳線でローカル線扱いとなっている。本来は山陽本線のショートカットコースとして建設されたというが、山陽本線が複線化される際に海側ルートが本線に選択され、その結果として岩徳線は単線非電化路線として取り残されたとのことである。同様の形態になっていて山側のルートの方が本線に選ばれた呉線と対照的である。

 列車は川西を過ぎたところで岩徳線と別れ、ここからがいよいよ錦川鉄道清流線となる。路線はその名の通り錦川に沿いながら小集落をつなぎつつ北上する。手前の御庄駅で新幹線の新岩国駅と接続しているので、ここでいくらか乗客の乗り降りがあるが、全線を通じて途中駅での乗客の乗り降りが少なく、全線を乗り通す乗客が多い。これはやはり沿線人口が減少しているようであることが関係しているようで、この路線の観光客に対する依存率はかなり高そうに見えた。後は通学需要がどの程度あるのかだが、各地のローカル線同様、経営環境はかなり厳しいものがあるだろうと思われる。なお車内に「がんばれローカル鉄道」のポスターが貼られていたが、これは全く同感。

 がんばれローカル鉄道

 なおこの路線の売りの一つは錦川の景観。ただしこれを楽しもうと思うと、岩国発の場合は進行方向に向かって右側の座席に陣取る必要がある(左側だと崖しか見えない)。私は行きではそれを知らなかったので、帰りの行程で車窓の風景を楽しむことにした。

 1時間ほどで終点の錦町に到着。ここからはとことこトレインで雙津峡温泉を目指すことにする。とことこトレインは予約制だが、空きがあれば当日でも乗車可能である。実際は2両の車両で最大100人程度乗車できるので、これが満員になることは通常はまずないというのが実態のようだ。なお私は事前に予約していたので、先頭車両に乗車することになる。なおこの路線は交通機関ではなく、遊具としての扱いとのことなので、悪天候時には運転が停止されることがあるので要注意。乗客満載のとことこトレインはかなりの低速(時速10キロ程度では)で軌道を走行する。確かにこの速度では交通機関ではなくて遊具である。

 

錦町駅でとことこトレインに乗り換え

 途中で長いトンネルをくぐるがここが観光名所となっている。トンネル内部には蛍光石で壁画が描かれており、これがピカピカとした光のトンネルとなっており、途中で下車してしばらく観光できるようになっている。ただこの光のトンネル内で写真撮影をしている観光客も多かったが、ストロボを使うと蛍光石の光が消えて真っ白になってしまうので、ストロボ撮影は無意味。にも関わらず、かなり多くのストロボがピカピカ。なお私は長時間露光で撮影に挑んだが、さすがに手持ちでの長時間露光(シャッター速度4秒ほど)はどうしても手ブレが生じ、撮影はかなり困難を極めた。なおこのとことこトレイン、走行中にはかなり上下に細かくゆれるので、風景の撮影もシャッター速度をかなり上げておかないと困難である。

 トンネル内の風景 写真がぶれているのはご容赦を

 いくつかのトンネルを抜けて、40分で雙津峡温泉に到着。ここまで来たからには温泉に浸かって帰らない手はない(そもそもそのつもりでお風呂セットを持参している)。とりあえず近くの日帰り施設である「憩の家」に向かう。

 雙津峡温泉でとことこトレインを下車

 施設自体はそう大きくないのだが、驚いたのはその泉質。世界有数のラドン含有量の放射能泉とのことだが、一般に放射能泉はさら湯と違いが分からないようなものが多いのに対し、ここの湯は入浴するなり肌がぬるぬるとする効果がある。泉質は単純弱放射能泉とのことなので決してアルカリ泉ではないはずなのだが、今まで入浴したどのアルカリ泉よりもこのぬるぬるが強い。また肌当りが非常に柔らかく、湯温をあまり高温にしていないのでじっくりと入浴できるという最高の湯である。今回は私は帰りのバスの時刻の関係であまり長湯できなかったので、それが非常に残念。いずれはリターンマッチをしたい。なお今回の遠征ではほとんどカラスの行水のような入浴時間だったにもかかわらず、帰りにはお肌スベスベで非常に具合が良い。これはまさに恐るべき温泉である。

 雙津峡温泉

 温泉に浸かった後はここで食事。この辺りの名物は鮎とのことなので鮎定食(1500円)を頂く。シンプルだが鮎がうまく、頭から骨ごと平らげてしまう。さらにイノシシの酒蒸し(840円)を追加注文。肉の臭みを香辛料と酒でうまく消してあって美味。やっぱり私はこういう和食系メニューが一番性に合う。

 

 昼食を食べ終わった頃にはバスの時間が近づいたのでバス停まで降りていく。なお帰りのバスは錦町駅まで10分ほど。とことこトレインがトロトロトレインであることはこのことからもよく分かる。

 錦町駅で待っていたのは往路と同じ「ひだまり号」。なお錦町駅には旧型車両の「じゃくち」と「せいりゅう」が留置されており、途中でかわせみをペイントした同じく新鋭車両の「こもれび号」とはすれ違ったが、もう一両の新鋭車両であるはずの「せせらぎ号」は見かけなかった。どこに行っていたのだろうか? 川の風景を楽しみながらのんびりと1時間ほどで岩国に帰還する。

 こもれび号

 

    じゃくち号とせいりゅう号

 錦川鉄道については沿線の状況には厳しいものがありそうだが、明るい材料としてはその観光ポテンシャルの高さだ。錦川の風景も美しいし、また雙津峡温泉については泉質の点では抜群に素晴らしいし、鮎料理もうまい。この路線は今後は広島近郊のリゾートとして、いかに売り込んでいくかが鍵になりそうである。

  錦川の風景

 岩国で列車を降りると、まずはトランクをロッカーに放り込んで身軽になる。さらにはコンビニでカルピス&茶を買い込んで水分補給。ここからはバスで錦帯橋に向かうことにする。なお現地ではバスの往復券及びロープウェイの乗車券、錦帯橋の往復券、岩国城の入場券、さらに各施設の割引券などがセットになったお得なセット券を休日向けに発売していたので、私はこれを購入する。岩国は思っていたよりは人口の多そうな町で活気がある。またバスについても本数が多く、観光客ばかりでなく地元民の足としても機能している。錦帯橋には10分強で到着する。

 岩国駅

 

 錦帯橋はいわゆる典型的な眼鏡橋であり、渡るにはかなりのアップダウンがある。また実は途中で階段状になっている部分があるのでバリアフリーではないのが要注意である。なお私はこの部分で階段状になっているのに気づかず(なかなか見えにくい)、危うく転落しそうになった。高齢者は足元に注意の必要がある。

 

 橋を渡るとそこは典型的な観光地。土産物屋の類がわんさかとあるし、公園化されるなどかなり観光開発が進んでいる模様。個人的にはあまりに観光開発が進みすぎという印象を受ける。確かに綺麗なのだが、綺麗になりすぎていて風情に欠ける点がある。正直、噴水は不要だと思うのだが・・・。とりあえず岩国城を見学するためにロープウェイの駅を目指すが、その前にふもとの美術館を覗く。


岩国美術館

 従来は岩国歴史美術館と呼ばれていたが、2004年から岩国美術館としてリニューアルされた模様である。また正式呼称は岩国美術館+柏原コレクションとのことで、岩国歴史美術館の所蔵品に理事長の柏原氏の個人コレクションを加えたものが展示品となっているようだ。

 展示品としては刀剣・甲冑類、調度品類、合戦図などの屏風絵、日本画の掛け軸などとなっている。規模はやや小さいものの、収蔵品の傾向としては鳥取の渡辺美術館に近い印象を受けた。

 かなりの値打ちものがありそうだが、残念ながらその収蔵品の大半は私の守備範囲外である。そちらに興味があるならば訪問して損はないと思うが。


 岩国城

 美術館を出るとロープウェイで山上に。ロープウェイは15分間隔で運行されているが満員である。山上駅を降りると5分ほどで岩国城に到着する。岩国城は毛利家の重臣であった吉川広家が建てた山城であるが、築城後7年で一国一城令によって破却されることになったという。現在の天守は、昭和37年と彫られた礎石があることからも想像がつくように、戦後に建設された鉄筋コンクリートによる復元天守である。なお本来の天守台よりも手前に建設されており(本来の天守台は復元されて奥にある)、それは下から見たときの見栄えを優先したためとか。天守の最上階からは錦帯橋を初めとする岩国城下が一望の下に見晴らせ、天守としての風格はともかくとして、展望台としての機能は高い。

 

 岩国城の見学をすませると、ロープウェイで下に降り、麓の吉川記念館などを見学した後にバスで再び岩国駅に戻ると、広島駅に引き返したのだった。なおこの日は、小田原地域が豪雨のために新幹線が運転休止になるなどの大混乱のあった日で、そのあおりか広島からの帰りの新幹線はかなりの混雑だった。おかげでエクスプレス予約で帰りの便をもっと早いものに切り替えようとしたが空きがなく、結局はしばらく広島で時間をつぶしてから帰宅することになったのである。なおこの日は、小田原周辺の豪雨で新幹線の運行が中止となり、東京方面に向かう乗客は結局は新大阪で足止めを食らうことになったとか。東京方面に向かうわけではない私にとっては全く無関係で、これは実に幸運であったが。

 今年の夏の最後を飾る大型遠征となったのが今回。本来なら青春18切符をフルに活用したいところなのだが、初日はスケジュールの関係で米子まで特急やくもで移動することになったし、帰りはさすがに広島から在来線で帰宅する気力は既になく、新幹線を使用することになったので、全行程3日間の中で、青春18切符を使用したのは2日目だけというなんとも堕落した遠征になってしまった。しかも終わってみれば、美術館遠征のはずが単なる観光旅行のようになってしまった。これでは堕落の一途である・・・。

 

 

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