展覧会遠征 東京・日光編

 

 さて今年も年に約3回の東京訪問のシーズンがやって来た・・・というか、実は特に回数と時期は定まっているわけではない。正直なところ、私の経済力では東京遠征は年に3回ぐらいが限界というのが実態だったりする。当然ながら日程は催し物次第である。

 で、今回であるが、東京都美術館で「フェルメール展」が開催されることになったというのが一番の動機である。今回の展覧会では貴重なフェルメールの作品が一挙に7点も来日するとのこと。通常はせいぜい多くても2点。大抵は目玉として1点だけというのが普通であることを考えると、これはかなり貴重な機会である。これをメインにすえることにして、他の展覧会の日程との絡みを最先端のデータ解析によって分析を行ったところ、東京遠征の日程がピンポイントで決定されたのである・・・って大層なものではなく、現実は日程表を睨みながら唸っただけであるが。

 さて遠征自体は毎回のお約束パターン。金曜日に休暇を取って二泊三日の日程である。交通手段は新幹線。本当はこの交通費が極めて痛いのだが、やはり体力を考えると高速バスというわけにもいかない。明るい材料としては、前回の遠征で見つけた一泊3500円のホテルを利用することで、宿泊費を抑えることが可能であること(ホテルは3ヶ月前から予約を入れている)。

 例によって上野に早朝に到着すると、ロッカーにトランクを放り込んで活動開始である。それにしてもさすがに東京と言うべきか、駅から表に出た途端に蒸し返すような暑さである。この異常な暑さを体感すると、やはり東京は人間が住める都市としての破綻は近いと確信する。これは早いうちに予定をこなしてしまわないと、昼の時間帯に差し掛かると命に関わりそうである。とりあえずはライフラインとして自販機でお茶を購入すると、まずは今回の遠征の主目的からこなすことにする。


「フェルメール展」東京都美術館で12/14まで

 

 17世紀、オランダの小都市デルフトにおいて、高度な芸術が花咲いた時期がある。それを代表する画家こそがフェルメールである。今回、その貴重なフェルメールを作品7点と、他のデルフト絵画を代表する画家たちの作品を集めて展示したのが本展である。

 本展の出展作を眺めていると、フェルメールというのは傑出した画家であるが、決して突然変異的に現れた画家ではないと言うことが良く分かる。フェルメールという傑出した才能は、あくまでそれまでのデルフト絵画の流れの中から登場しているのである。本展出展作は概してレベルが高いが、例えばデルフトの巨匠とされるピーテル・デ・ホーホ(なぜか日本での一般的な知名度は、フェルメールに比べて格段に低いのだが)の作品などはフェルメールに決して劣らぬ完成度の高さである。フェルメールはあくまでそれらの下地としての流れの中から登場した画家であるということは良く分かる。

 とは言うものの、やはり本展の目玉はフェルメールの7作品であることは間違いない。初期宗教作品の「マルタとマリアの家のキリスト」「ディアナとニンフたち」辺りはまだフェルメールらしさが完全に出ているという感はないが、風景画の傑作「小路」ぐらいからいかにもフェルメールらしい緻密な表現のうまさが感じられるようになる。「ワイングラスを持つ娘」「リュートを調弦する女」の2作品はいかにもフェルメールらしい室内の明暗表現の巧みさなどに魅せられ、このあたりの作品からはかなり強いオーラが感じられるようになる。そして圧巻は特別出展の「手紙を書く婦人と召使い」。ここまで来ると室内の光のきらめきと柔らかさまでが感じられ、作品に圧倒されるのが分かる。作品から感じられるオーラが桁違いであり、今までこれだけのオーラを感じたのは、やはりフェルメールの「牛乳を注ぐ女」、またダヴィンチの「受胎告知」を目にした時以来である。

 なお本展にはこれ以外に、最近になって使用顔料の科学的分析などからフェルメールの真作であると認定された「ヴァージナルの前に座る若い女」も出展されているが、本作については作品が小品であるためか光の扱いが何となく他のフェルメール作品と異なって感じられ、永らく贋作であるとされていた理由が分かるような気もした。

 本展は非常に貴重なフェルメールの作品を7点も目にすることができるというだけでなく、当時のデルフト絵画の流れの中でのフェルメールの位置を認識できるという意味でも非常に有意義かつ興味深い展覧会であり、必ず訪れるべき展覧会であると言えるだろう。なお個人的には「手紙を書く婦人と召使い」だけでも東京まではるばるやってくるだけの価値はあったと感じている。


 主目的をこなした後はさらに続けて上野地域の攻略戦となる。


「対決−巨匠たちの日本美術」東京国立博物館で8/17まで

 

 日本美術史上に燦然と輝く巨匠と言われるべき芸術家が多々存在するが、それらの芸術家たちの中から、ライバルという関係を引っ張り出して、両者の作品を対比することによってそれぞれの個性を際立たせようという主旨の展覧会である。もっともそのライバルという位置づけは、本当の意味での直接のライバル関係が存在した組み合わせだけでなく、むしろ同志というべき場合、師匠と弟子、もしくは先駆者と後継者と言える場合など様々であるが、いずれもその時代のその分野を代表する巨匠が選択されている。

 まずは運慶と快慶。共に鎌倉時代に活躍した奈良仏師を代表する人物である。東大寺南大門の修復などに両者で関わったことから、二人一組のように思われることが多いが、実はその作風は異なる。運慶は荒々しいまでに力強い作風であるのに対し、快慶はより端正でバランスの良い作風である。この剛の運慶、柔の快慶という両者の個性をそれぞれの仏像で比較できるところから本展は始まる。

 次は雪舟と雪村。共に中世の画僧であるが、両者の活躍時期にずれがあり直接の関係はない。しかし静けさの中に厳しさのある雪舟の作品と、動きと軽やかさを秘めている雪村の作品を比較することで両者の違いが際立っている。

 さらに絢爛豪華な力強い画面によって権力者に好まれた狩野永徳と、静謐さの中に深い精神性を漂わせる長谷川等伯の作品を対比する。この両者に関しては実際にライバル関係が存在し、狩野永徳は最後まで長谷川等伯の存在を警戒していたというし、等伯の息子が若くして死亡した件については狩野派による暗殺だとの噂まであるぐらいである。

 また円山応挙と長沢芦雪の場合は師弟関係にある。精密な写実にベースをおいた円山派を確立した応挙に対し、芦雪はその応挙の元で学びながら、より自由で伸びやかな画風へと転じていっている。さらに圧巻は伊藤若冲と曾我蕭白という江戸時代を代表する二大奇想画家の競演。この両者に直接のライバル関係があったとは思えないが、自己主張の強い両者の強烈な画風には圧倒されるのみである。

 出展作はいずれ劣らぬ名品だけに、長沢芦雪の「虎図」や曾我蕭白の「群仙図屏風」などのように私は今まで何度も目にしている作品もあるが、それでもやはりこれらの作品が圧巻であるのは変わりない。ただ単にこれらの巨匠の作品を羅列するのではなく、ライバル関係という枠組みを与えることで、一般客に認識をしやすくしたというのは展示上の効果的な工夫であると思われる。


「コロー 光と追憶の変奏曲」国立西洋美術館で8/31まで

 

 カミーユ・コローは19世紀フランスを代表する風景画家として知られており、後に登場した印象派の画家達を始めとして、キュビズムの画家達にまで影響を与えたといわれている。しかしなぜかその割には、コロー単独に注目した展覧会というものは開催されたことがほとんどないという。本展はそのコローに着目して、彼の作品を一堂に集めて展示したものである。

 最後まで決して「前衛的」と言えるような画風には至らなかったコローであるが、それでも初期のいかにもアカデミズム的な絵画表現からは徐々に変化して、最終的には後の印象派につながると感じられる野外表現に至っているのは本展でも感じられる。本展が副題に「光と追憶の変奏曲」と銘打っているのは、コローがこの野外の光表現を追及して行ったことと、彼の風景画が実は現実の風景を写し取るものではなく、彼のイメージの中で再構成されたものであり、晩年の彼の作品にはノスタルジーが濃厚に現れることを意味しているのであると推測される。

 なお個人的には意外だったのは、一般には風景画家として知られているコローであるが、実は人物画も結構描いていているということ。またそれらに秀品も多い。これは新たな発見であった。


 国立博物館では鶴屋吉信のあんみつをいただく

 今回の遠征はフェルメール展を主題にしたものであったが、上記3展はいずれ劣らぬ素晴らしいものであり、これだけでわざわざ東京に来た意味は十二分に果たされたと感じた。精神が非常に充実するのが実感され、これこそが私が各地の展覧会を回っている目的なのである。とはいうものの、精神は満たされても仙人ならぬ私はかすみを食って生きられるわけではない。体の方がそろそろとガス欠になってきた。

 上野地区攻略戦を終了したところでとりあえず昼食。ただ例によってこれはあくまで燃料補給に過ぎない。元よりこの地域の飲食店には私は多くは期待しておらず、結局は手近な店でそばを食す。それはともかくとして、店内を子供が走り回っているのに、それを放置している馬鹿親に唖然。最近はこういうどうしようもない親が増えてきた。

 燃料補給後は、荷物を置くのと炎天下の行軍のダメージを癒すためにとりあえずホテルにチェックイン。先の東京遠征で利用した南千住のホテルNEO東京である。荷物を部屋に放り込んで一息つくと、今日の最後の予定をこなすために再出陣する。次の目的地は東京都現代美術館。しかしこれがまた辺鄙な場所にある難儀な施設。一応清澄白河駅が最寄りということなのだが、ここからかなり遠い。その上に北千住で東武線に乗り換えるホームが分からなくてウロウロする羽目になる。次のイベントは時間指定制なのだが、なんだかんだで指定時間の4時に10分ほど遅れてようやく到着する。


「スタジオジブリレイアウト展」東京都現代美術館で9/28まで

 

 レイアウトとはアニメ制作において、絵コンテから起こした画面の設計図のようなものだという。ここには画面作成上の注意などがすべて書き込まれており、まさにジブリのアニメ作品がどのような意図の元に制作されたかが分かる資料。今までジブリが手がけた作品のレイアウトが展示されているが、本来は特に残しておくものでもないのでその残存状況は様々。「魔女の宅急便」のようにほとんど残っていない例から、「千と千尋の神隠し」のようにかなり残存している例まで。

 レイアウトとはこういったイメージ

 とにかく恐ろしいほど細かい指示がされていることが良く分かると同時に、レイアウトを見るだけで完成作品の動画が頭に浮かんでくる。これだけの細かい仕事があってこその、あの感動の名場面だったと言うことが理解できるようになっている。とはいうものの、すべてのアニメ作品がこのレベルの作業をしているわけではなく(実際にはそれでは製作が間に合わない)、ジブリのレベルが異様に高いのと、宮崎駿氏の能力が異常だというべきだろう。

 いわゆるアニメオタク必見なのだろうが、そのようなレベルではない私のような一般人でも十二分に楽しめる内容ではある。なお本展への入場はすべて時間指定制の前売り券のみとなっているが、入場してみてその理由が納得。入場者は展示物にかなりにじり寄って見ることになるので、場内が混雑していると全く何も見えないということになってしまう。これは浮世絵展の類でも導入しても良いシステムのようにも思えた。


 「となりのポニョニョ、ポニョニョ。ポニョニョ、ポニョニョ。崖の上に昔から住んでる」じゃなかった。「ポニョ、ポニョ、ポニョ、さかなの子」である。とにかく本展を一回りするとまるで洗脳音波のようにこの歌が頭に染みつくようになっている。しかもこの歌、音程の不安定な子供と音痴な大人が三人で歌う下手な歌だけに、これが逆にインパクトがあって見事に頭に染みつくのである。これはかなり計算尽くの悪辣な仕掛けである。子供の下手な歌と言えば、「風の谷のナウシカ」でもやはり子供の下手な歌を使っており、それが下手な故に効果をあげていたことを思い出させる。

 この日の夕食は帰りに立ち寄った店で深川飯を。私は東京の地理には全く疎いのだが、この辺りが深川になるのだろうか。深川飯とはあさりを飯と共に炊き込んだものであるが、店の選択が悪かったのかどうにもイマイチ。とにかく味があまりしないのに、貝の臭みだけはしっかりご飯についてしまっているというどうしようもない状態。この手のタイプの料理としては、桑名で食べたアサリのしぐれ茶漬けがあるが、比較するのも失礼なぐらいの雲泥の差。やっぱり東京ではまともな食べ物にありつくのは至難の業である。

 かなり充実した日程を消化し、この日は精神的にはかなり満足できたのだが、どうも腹の方が今ひとつ満足していない。また今日は上野界隈をウロウロしてから、東京都現代美術館に移動しただけなのに、歩数は既に2万歩を越えており、足のほうにはかなり疲れが溜まってきている。このような中途半端な状況のまま、この日はホテルに戻るとテレビでたまたまオリンピックの開幕式を見て(それにしても意味もなく金をかけている。こんな金があるなら国内の被災者を何とかしろよ・・・。)、入浴をすませるとこの晩は早めに床に着いたのであった。

 

 翌日は5時に起き出すと、とりあえず朝食用に買い込んでいたパンを腹に叩き込んで直ちに外出。北千住で乗り換えると東武伊勢崎線で日光を目指す。実は不案内な北千住での乗り換えに私は不安を感じていたのだが、先日に北千住駅で散々迷ったおかげで、今日の乗り換えは全く迷うことなくスムーズに乗り換え。全く、人生は何の経験がいつ生きるか分からないというものである。

 6両編成の列車は先頭の2両が日光行きで、途中の下今市で切り離されるという構成。車内の乗車率は結構高い。しかしこの車両、ボックスシートが大部分を占めるセミクロスシート構成というのはともかく、このボックスシートがとにかく狭い。JR西日本の115系と同じ「昔の日本人の体格を想定したサイズ」。4人がけシートに本当に4人着席すると、隣とは肩が当たるし、向かいとはひざがぶつかるという狭さ。そのためにボックスシートの定員が事実上二人(ボックスの対角位置に着席する)ということになってしまうのが難点。長時間の乗車にはむかないタイプである。

 最初は市街地内を走行していた路線も、途中から人家がまばらになり、日光手前では完全に山になってしまう。どうやら日光は完全に山中に孤立した集落のイメージである。やや狭めの車両に乗車すること2時間ほど、ようやく列車は東武日光駅に到着、ここからはバスで東照宮を目指すことにする。しかし私はどのバスに乗ったらよいのかよく分からず、結局は東照宮の手前まで行くバスとは違うバスに乗ってしまい。東照宮からはかなり離れた位置にある神橋で降りる羽目になる。

 神橋

 手前で降りたせいで東照宮まで少し歩く羽目になったが、その間に鬱蒼とした林を抜けたり、何やら日光という土地の情緒を味わえたので、これはこれで良かったと考えることにする。林の中を散策することしばし、ようやく東照宮の入り口らしき場所に到着する。まだ朝早いせいか(まだ9時前)、あまり大混雑している様子はないが、修学旅行ではないかと思われる団体が既に到着している・・・のだが、この夏休みの時期に修学旅行? それが最大の疑問なのだが、どう見ても修学旅行としか思えない団体なのである。これが今回の遠征の中で一番の謎として残ってしまった。

 

 とりあえずここで場内5ヶ所を回れる拝観券を1000円で購入すると(少々高い気がする)、まずは目の前にある宝物殿を見学しようと思うのだが・・・ここはさらに別料金。はっきり言って東照宮で私が一番感じたのは、とかにく商売熱心な神社だということである。拝観料が高いだけでなく、宝物殿に入ろうとすると別料金、眠り猫を見るために奥の院のほうに向かおうとするとまた別料金とやたらに料金を徴収されるのである。しかもそれだけでなく、各所で担当の人が解説をしてくれるのは良いが、その解説の最後で必ずお守りの類を勧められるのである。なお東照宮のお守りの最大のセールスポイントは、他所の神社のお守りのように毎年交換しなくても良いことだそうな。そのために金属プレート製のお守りまで販売されているが、これが2000円とこれまた高価。何やらかなり観光地化していることを感じさせる。

 三猿

 そもそも日光東照宮は、その絢爛たる装飾など実に優れた建造物で知られ、この地帯は世界遺産にも指定されているが、その一方でその建立の目的は徳川幕府の権威の誇示というかなり生臭いものであり、また徳川家康を神格化しているという意味での胡散臭さも付きまとう施設ではある。またこの寺院の建立に大きな役割を果たした天海僧正という人物も非常に謎の多い人物で、あの時代になんと108歳まで生きたと言われている。その謎の多さから、実は明智光秀だったという説があったり、果ては妖怪扱いするファンタジーの類まである始末で、「サクラ大戦」に至っては政府を転覆して徳川幕府を復興させようとしている悪の秘密結社の親玉として登場させている。とかく権力周辺にはどうしてもその手のいかがわしさは付きまとってしまうものである。まあもっとも同様の事情は洋の東西を問わないもので、立派な建造物は大抵は権力者の力の誇示の目的で建設されているし、ヨーロッパのキリスト教系の施設なども、その謂れについてはかなり生臭くかつ胡散臭い施設が多い。

 とにかく絢爛豪華という印象の強い施設である。あまりにけばけばしくて下手をすると悪趣味の一歩手前という微妙なバランスを保っている。とは言うものの、実のところは仏教寺院などは本来はこの手のけばけばに作られる場合が多い。今日ではわびさびの情緒を漂わせている京都や奈良の寺院でも、それは1000年もの月日を経た効果であり、建設当初は朱や青の極彩色の世界の真ん中に金メッキされたキンキラキンの大仏が鎮座しているという光景だったのだから、実は日光東照宮だけが特別に派手だというわけではないのである。むしろ日光東照宮は江戸時代という「つい最近」に建設されたおかげで、往時の派手さがまだそのまま残っていると解釈するのが正しいだろう。

 

 陽明門の飾り彫り

 とりあえずお約束の観光コース巡り。陽明門をくぐったり、いわゆる「三猿」や「眠り猫」を鑑賞したり、奥社にある徳川家康の墓所を見学したりなどという定番コースである。実は初心者でも順路案内をたどっていくとこれらの施設が順に回れるようになっており、そういう意味でも「異常に観光地化が進んでいる寺院」ということは嫌でも感じさせられる。

 有名な眠り猫

 ちなみに今回、撮影用に新規導入した機材のテストもここで行った。以前の四国遠征で龍河洞にもぐった時に、内蔵ストロボが決定的にパワー不足であることを痛感したが、その後の岡山遠征でも屋内撮影に支障があることが判明、外部ストロボの新規導入が検討されることとなったのである。当然ながらメーカー純正品など導入する予算などはない私は、綿密なる調査の結果、ニッシン製のスピードライトを購入した次第。キャノン製カメラに対応したオートストロボなので、私のような素人ユースの場合は何も考えずにシャッターを押すだけ。内蔵ストロボとは光量は桁違いだし、またストロボの位置がレンズから遠いために、内蔵ストロボ+シグマレンズの時にあった「レンズが大きすぎるせいで、ストロボ照射光が一部さえぎられて画面に影が写る」という不具合もなくなった。これは今後、洞窟探検のみならず幅広く活躍してくれそうである。ところで私のカメラって、周辺機器はサードパーティーの寄せ集めといういかにも貧乏くさい構成になっているな・・・。

 

石段を登って奥社へ   奥社の裏に家康の墓所があります

 それにしても暑い。昨日に続いてめまいのするような炎天下である。日光は東京よりは涼しいだろうと思っていたのだが、この暑さでは差がないようである。こうなると水分を欠かさず補給しておく必要がある。疲れたらカルピス、のどが渇いたら伊右衛門という調子、そして体が火照ってどうしようもなくなったらかき氷でクールダウンである。炎天下の中を石段を上り下りしたりでクタクタになりながらも見学コースを回り終えた頃には昼過ぎになっていた。

 ここでようやく昼食にする。暑さにあたられて食欲が今ひとつなので、昼食はそばで済ます。昼食をとって人心地つくと、さらに次の目的地に向けて10分以上延々と歩くことに、実は次の目的地は今回のスタート地点だった神橋の近くである。


小杉放庵記念日光美術館

 

 小杉放庵の名に私は全く思い当たるものがなかったのだが、小杉未醒と言われてようやく理解できた。彼はそもそもは洋画を習って洋画の世界で活躍しており、その頃に名乗っていたのが未醒の名であるが、その後に徐々に日本画の水墨表現の世界に傾倒していき、放庵という雅号を名乗ることになったのだとか。

 この経歴を見ただけでも彼の創作の幅の広さが伺えるが、実際に挿絵画家としてなども活躍していたらしい。彼は洋画製作の時代から、ゴテゴテした油絵的な画風ではなく、サクッと簡潔な描写が多かったようなので、その流れから挿絵画家、日本画家へと転身したのは何となく理解できなくもない。実際、水墨の線の表現に妙味がある。


 美術館を一回りしたところで、中の喫茶でケーキセットで一息つく。やはり体がかなり疲れており、抹茶ミルクの冷たさが心地よい。ちなみに経費節約のために喫茶は滅多に使用しない私が、それも美術館内の喫茶に立ち寄るというのはかなり疲れていると考えてよい。ウルトラマンなら真っ赤なカラータイマーがピコンピコンといっている状態であるが、残念ながらここで私には一撃必殺の逆転技の持ち合わせなどない。

 美術館を出ると今度はJR日光駅までバスで移動する。東武日光駅とJR日光駅は歩いて数分の距離なのだが、東武日光前に比べてJR日光前は閑散としている。列車のダイヤを見てみると1時間に1本程度。どうやら利便性で東武鉄道に完敗してしまっているようである。そもそもこちらは電化単線路線、あちらは電化複線路線なのでどうしても設備面で敗北するか。東武日光線が東京と日光を結ぶことを意識した路線であるのに対し、JR日光線はあくまで日光と宇都宮を結び地域交通路線らしい。なお2006年から東武日光線ではJRとの直通運転も開始しているとのことで、いよいよJR日光線の敗勢は明らかである。

 

東武日光駅とJR日光駅 JRの駅の方が由緒は正しいのですが

 この日光駅で30分も列車を待つ羽目になってしまった。実は事前に乗り換え時刻を計算したプランを用意しており、この帰還ルートも日光での滞在時間を各種設定した3プランを用意していたのだが、実際の日光での滞在時間がこのいずれのプランよりも長くなってしまったので、ここで事前の計画が破綻してしまったのである。要は東照宮を甘く見ていたということで、己の分析の甘さを悔いることしきり。「まさか、これほどまでとは・・・。」

 

 待つこと30分、ようやく列車が到着する。到着したのはローカル色漂う4両編成の107系。ドアは手動で開けるというタイプである。駅は閑散としていたのだが、発車時間が近づくと次々に乗客が駆けつけ、最終的には80%ぐらいの乗車率になる。なるほど、東武線には完敗はしているものの需要はあるようである。沿線は山があったり田んぼがあったりとのどかではあるが、東武日光線の沿線よりは人口は多いようで、各駅での利用客もそれなりにある。やがて列車は鹿沼に到着、ここが次の目的地である。

 鹿沼駅前はやや閑散としたところ、しかも空模様が怪しくなってきた。とりあえず駅前でタクシーを拾って次の目的地に向かう。

 


「美しき静の世界 曽我芳子 回顧展」鹿沼市立川上澄生美術館で9/7まで

 曽我芳子とは地元で美術教師しながら創作に励んだ洋画家であるという。本展には多くの廃船を描いた作品が展示されているが、廃船は彼女の作品の代表的モチーフであるという。彼女の作品を通じて感じられる感覚は荒涼とした静けさ。それなりに苦労も多かったという彼女の心象風景の反映なのだろうか。

 なお同美術館のメインである収蔵品は川上澄生の版画作品であるが、ユーモアとモダンさを秘めた彼の独特の版画は、特にレトロブームの昨今ではより注目を浴びそうである。現在はランプ展と称して、彼がランプを描いた作品を展示しているが、そのランプのメカニックの描き方がいかにも洒落ていて、なかなかに楽しめる。


 美術館を出た時には既に雨が降り始めており、遠くで雷が鳴り始めていた。次の列車の時間まで1時間弱あるので駅まで歩こうかと思っていたのだが、途中から雨が激しさを増してくる。やむなく目の前の屋根付のバス停に避難、時刻表をチェックする。「バス停に駆け込んでそうそうにコミュニティーバスに出会うか、私は運がいい。」 駅行きのバスが到着したの2分後であった。

 駅で待つこと40分以上、ようやく宇都宮行きの列車が到着する。列車の乗車率はやはり80%ぐらい。驚くのは乗客の半数以上が爆睡中であること。東照宮あたりを散々歩いた挙句に、この列車に揺られて変化のない車窓を眺めていると眠気が誘われるのであろう。列車はしばらくは何もない田園地帯を走行、やがて突然にビル群が現れたかと思うと宇都宮に到着する。宇都宮といい、前回に訪れた水戸といい、手前から風景変化が突然で激しい。

 宇都宮は初めての街だが、とにかく餃子の看板が目に付く街である。どうやら宇都宮の名物は餃子らしい。これだけ極端なのは、高松のうどん以来である。とりあえずバスを見つけると目的地に向かう。

 


「長重之展(時空のパッセージ)」栃木県立美術館で9/15まで

 

 足利で活躍しているアーティストである長重之氏の作品展。ポケットをモチーフにしたシリーズなど、同氏の様々な製作パターンの作品があるが、作品の中にはかつてガス会社のボイラーマンをしていたという彼の経歴を思わせるようなものもあった。

 とはいうものの、正直なところ私の感性には合致しない。数パターンの作品群があるのだが、その作品群の中の個別作品の違いについては皆無。結局のところ、パターンに面白みを感じられなかったらそこまで。


 現代アート系に関心の薄い私としては興味がいまいち。また作者本人による無料の音声ガイドもあったが、これがまた自己陶酔が強すぎて何を言いたいのかさっぱり。確かにこれは金を取れるものではない。

 ちなみに同館のコレクションについては、展示されていた作品が現代アート中心だったせいで今ひとつ印象に残るものはなし。結局同館については、受付の女性が美人だったことしか印象に残らなかったのである。

 これで今日の全日程は終了。とりあえず駅までバスで帰ってくると、帰りの列車の便を確認。上野行きの快速ラビットの発車まで40分以上あるようである。どうも今日はとにかく駅で待たされる時間が多いが、ここでボーっとしていても仕方ないので、軽い夕食として駅前で餃子を食べることにする。とりあえず駅前の適当な店に入る。

 私が食べたのは焼き餃子と水餃子のセットだが、これが宇都宮餃子の特徴なのか、それともここの店の特徴なのかは分からないが、意外にあっさりした餃子という印象。特にほうれん草が入っているという水餃子の方はかなりあっさりしている。ニンニクがあまり得意ではない私はこのぐらいがちょうどだが。

 夕食を済ませると、この日は快速ラビットで東北線経由で東京へと戻ったのだった。この日は小山で花火大会があるとかで小山までは乗客が一杯、小山を過ぎた途端に通常の状態になった次第。なおラピッドに投入されている車両はE231系と呼ばれる新造車両らしいが、一部に二階建てのグリーン車両があるものの、基本的には3ドアロングシートの通勤車両仕様。大体東京周辺の路線では共通していることだが、車両には何の面白みもない・・・まあ鉄道マニアではない私には関係ないが。なお沿線風景については、途中で田園地帯が繰り広げられる常磐線と違い、こちらは東京までべったりと住宅地であり(つまり風景としては面白みがない)、東京の都市圏がこの方向にかなり肥大化していることをうかがわせる。

 1時間以上かかって上野に到着。腹具合が中途半端なので何か食べようかと思ったが、結局は上野周辺ではこれという店が見つからず、駅前の和菓子店で大福を買い込んだだけでこの日はホテルに帰還する。ホテルに戻ると風呂に入ってから大福を平らげたところで力尽きて早々と眠り込んでしまったのだった。この日はやはり日光東照宮周辺での長距離移動が響いて2万4000歩という私の限界を超えているどころか、ほとんど未踏の歩数になってしまっていた。それだけに疲れは半端ではなかったようである。

 

 翌朝、目覚ましをかけていたのだが、それが鳴る前に自然に目が覚める。今日で最終日である。さすがに2日続けて炎天下を2万歩以上歩いてきただけに、朝から身体がだるい。ただ今までの経験からある程度こうなることは予想済みで、そのために最終日はやや緩めの日程にしてある。昨日は5時起床だったが、今朝は7時起床。9時前ぐらいにチェックアウトすれば良いので、ブラブラと身体を休ませながら荷物をまとめる。

 宿をチェックアウトするとJRでとりあえず東京駅に。毎度のお約束通り、トランクは東京駅のロッカーに放り込んでの移動である。その前に途中の上野駅で朝食代わりに讃岐うどんを食べる。最近はJRも駅中商店街に力を入れているので、CPがどうとか味がどうとか贅沢を言わなければ食事には困らなくなっている(どうせ外で食べてもやはり大した店はないわけだし)。

 東京駅でロッカーに荷物を放り込むと、そのまま山手線で今日の最初の目的地の渋谷に移動。今や通い慣れたる感のある文化村通りを足早に抜ける。


「青春のロシア・アヴァンギャルド」BUNKAMURAで9/17まで

 

 モスクワ市立美術館が所蔵する20世紀初頭のロシア・アヴァンギャルドに属する作品を展示した展覧会。マルク・シャガールなどから始まって、この時期にはロシア・アヴァンギャルドと言われる現代アートの嵐が吹き抜けることになる。前衛的手法に走る芸術家や逆にプリミティブアートに注目する芸術家など様々な方向でのアートが開花するのがこの時期であるが、結局はロシア革命が進行してスターリンが芸術にまで介入する時代になって終息。芸術家達は活路を求めて海外に逃げ出すか、スターリン支配下のソビエトで社会主義芸術に従順たることを強いられるか、もしくは自らの意志で餓死に至るかを選択させられることになるのである。

 百花繚乱と言うべきか、玉石混淆と言うべきか、実に多彩な表現が開花していたことがうかがえる。ただ同時期に欧米で進行していた現代アートよりは個人的には好感が持てるのはなぜなのかは不明である。やっぱりこれはロシアが田舎であったからだろうか。


 渋谷を発つと、地下鉄を乗り継いで次の目的地へ。この辺りは巡回ルート化しているような感がある。次の目的地は地下鉄の乃木坂駅から直結していて交通の便は良い・・・とはいうものの、実はこの乃木坂駅に到着するまでがやたらに乗り換えが多くて閉口なのであるが。


「ウィーン美術史美術館所蔵 静物画の秘密」国立新美術館で9/15まで

 

 ウィーン美術史美術館が所蔵する16〜18世紀にかけての静物画を展示したもの。オランダを中心に独自の進化を遂げた静物画は、富裕な市民層の装飾などとしてもてはやされたのであるが、本展ではそのような食卓画や風俗画などが見ることができる。当然のことであるがオランダ絵画お得意の風刺を込めた寓意画などもある。

 表現の緻密さなどに驚かされるのであるが、やはり題材が題材だけに展覧会として非常に地味であるのは否定できない。主催者側もそこのところは心得ていると見られ、客寄せの目玉にされているのがベラスケスによる「マルガリータ王女」の肖像画である。この作品についてはさすがにベラスケスらしい表現が堪能できるので一見して損はない。


 この時点でようやくお昼頃。実は今日の予定は後1カ所だけである。帰りの新幹線はエクスプレス予約でかなり遅い便を予約しているので、もう少し早い便に切り替えようとW−ZERO3で予約の修正をする・・・つもりだったのだが、どうしたわけかW−ZERO3のブラウザでは邪魔な位置にスクロールバーが出てしまって、入力操作が不可能になってしまっている。以前にはW−ZERO3で何度もエクスプレス予約をしているのだから、こんな馬鹿なことは起こっていなかった(ブラウザからの操作なので、死ぬほど重くはあるが)。エクスプレス予約の画面がマイナーチェンジしたのか何なのかはよく分からないが、困ったことになってしまった。PCでアクセスしようにもそのPCはトランクの中だし、そもそもホットスポットでもない限りはLANにアクセスできない。ネット喫茶を使うにしてもエクスプレス予約の番号やパスワードを覚えていないし、だいいち覚えていても不特定多数が使用するマシンなんかで入力はしたくない。というわけでここで万策尽きてしまった。そもそもはJRのエクスプレス予約が、携帯対応のみでPHSには対応していないという大馬鹿なシステムになっているのが諸悪の根元なんだが(ビジネス客対象のシステムが、ビジネスユーザーの多いPHSに対応していないという間抜けさ)、JRはこの点は一向に改善するつもりはないらしい。こういうところは未だに「国鉄」の体質を引きずっているような気がする。とにかくこうなった以上、とにかく今日は夜まで東京で遊んでやると腹を括って次の目的地の新宿に向かう。


「アンドレ・ポーシャンとグランマ・モーゼス」損保ジャパン東郷青児美術館で8/31まで

 

 独学で学んだ独自の絵画によって、素朴派と呼ばれるポーシャンとモーゼスの作品を集めた展覧会。決して技巧的ではなく、場合によっては下手な絵とも見える絵画でもあるにもかかわらず、独特な暖かさを感じさせるのが彼らの作品の特徴である。


 以上で今回の遠征の全予定は終了した・・・というところで困ってしまった。まだ帰りの新幹線まで5時間ほど時間が余っているのである。東京で遊ぼうと考えたものの、そもそも私は東京での遊び場所を知らない・・・というか、私は東京では美術館以外に行くところがないのである。これが10年前なら迷わずに秋葉原に直行するところだが、メイド喫茶に占拠されて以降の秋葉原は、明らかに私が行きたいと思う場所ではなくなってしまっているのである。とりあえずあてもないまま新宿駅の東口側に移動する。考えてみると新宿の東口側に来るのは10年ぶりぐらいである。相変わらず目眩のしそうな街でどうも私には合わない。ここでも時間をつぶせそうにない・・・そう思った時に私の頭の中に天の啓示のごとく一つの歌が流れてきた。「ポニョ、ポニョ、ポニョ、さかなの子。」そうだ、映画でも見て時間をつぶそう。

 とりあえず紀伊國屋書店で東京ウォーカーを購入すると映画館をチェック。歌舞伎町の映画館で上映しているようであることを確認する。次の上映開始時間は・・・今から30分後。とりあえず劇場へと急ぐ。劇場の前には既に数十人の行列が出来ていたが、器が大きいのか余裕で座れるようである。


「崖の上のポニョ」

 

 世界的にも評価の高い宮崎駿監督の新作である。ストーリーは人魚姫をベースにアレンジしてある。海の中の魚の国の王女であるポニョが、たまたま命を助けてくれた宗介に恋をし、再び宗介に会うために魔法の力で人間となって地上界にやってくる。しかしポニョの父でもある海の王は、日頃から海を汚している人間に怒りを感じており、ポニョの行為に憤ったのみならず、この機会に地上の人類を抹殺するべく大災害を発生させる。それを止めようとするポニョに、命を賭けて彼女を守ろうとする宗介。このままでは人類の滅亡は目前。自らの命を投げ捨てでも宗介を含む人類を助けようとポニョが身を投げ出す。そしてそれを追って自らも飛び込む宗介。すべてが終わってしまったのかと思った時、彼らの愛が奇跡を起こす・・・なんていう内容では全くないことが実はこの作品の最大のポイントである。

 実のところの本作は、呆気にとられるぐらい単純なお子様向けメルヘンである。登場人物はいずれも悪意のかけらも持っておらず脳天気、悩みも苦しみも全く存在しない世界である。それに主人公達にも試練と言えるようなものは全くない。

 本作については評価が真っ二つに分かれており、中には「最低最悪」という酷評もあるようであるが、宮崎監督の新作ということで先に書いたような感動巨編を期待していたような者ならものの見事に肩透かしを食らうことだろう。とにかく平和で明るくて気持ちの良い世界だけが展開しており、最近の宮崎映画にありがちだったメッセージを前面に出しての説教臭さは皆無である。このあたりが評価が真っ二つになる所以か。なお映像面に関しては、簡単で単純な絵柄に見えながら、これまた唖然とするぐらい手間がかかっており、「ここまでするか」と思わせるのはさすがにジブリ作品。

 さて私であるが、正直なところ「えっ、これで終わり?」とあまりにさっくりした展開に完全に拍子抜けしてしまったのであるが、かと言って「金返せ!この野郎!」にはならず、何やら身体から毒気が完全に抜かれてしまったように心地よくなったのが真実。あまりに呆気ない展開も、エンディングのド下手な歌も含めてすべてが許せてしまうのである。癒し系と言うよりは、毒抜き系と言った方がふさわしい映画である。


 正直、40過ぎたオッサンが見に行く映画かという疑問もあったのだが、場所柄か入場者は子連れは意外と少なく、私と同年齢かそれよりも若いぐらいの普通の大人がメイン(いわゆるオタクな連中はほとんどいない)というのは印象的であった。実はくたびれたオッサンが童心を取り戻すのにこそ最適の映画か。

 この後は東京駅に移動すると地下で夕食(よく考えると、今日は昼食を摂っていなかった)。大丸で家族への土産物を買い込むと新幹線で帰途についたのである。ちなみにこの原稿は帰りの新幹線車中で執筆している(笑)。

 それにしても、フェルメールに始まって東照宮を挟み、最後はポニョで終わるという意味不明の遠征になってしまった。だんだんと遠征の目的が曖昧になって発散してきているのを感じるが、これはそもそも私の性格を反映してしまっているのだろうか。

 私の東京遠征ではとにかく食が軽視されるが(それだけ遠征色が強いということだが)、今回は従来以上にこっちは惨憺たるものだった。暑さにあたられて食欲が今ひとつだったせいもあるが、昼食はそばなど簡単なものばかりで、挙句が最終日は昼食抜き。夕食についても間に合わせの適当なものばかりである。どうも東京ではこれという飲食店に行き当たることがないのだが、今回は今まで以上にその感が強かった。こんな街をミシュランは「世界一のグルメ都市」なんて言うんだから片腹痛い。とにかく東京で「これはお得」と感じる飲食店に行き当たったことはない(「紀の善」についてはうまいとは思うがお得とは思っておらず、むしろ高いなと感じている。)。まあこれは私が関西人であることも大きいだろうとは思うが。

 水戸行きを間に挟んだ前回の東京遠征と同じパターンになったのが今回。いよいよ南千住の安宿がベースキャンプ化してきたようである。関東周辺にも未踏地域は多く(例えば千葉)、これからしばらくはこのパターンが続きそうな予感がする。ただし、将来に本気でみちのく討伐をするつもりなら、東北地方の仙台あたりにも拠点が必要となりそうであるが、その当ては現在のところ全くない。やはり関東以北は私にとって未踏地域のまま終わるのだろうか。

 また宿泊費はかなり安くなったものの、まだ交通費はとんでもなく高い。今回の遠征でも、最終日に財布の中を見て青ざめてしまったのである。行き帰りの行程についても今一度見直す必要がありそうである。とは言っても、まさか「青春メガドリーム号」や「ムーンライトながら」で東京に行けるほどの体力なんてありゃしないし・・・。やはりすべてにおいて先立つものは軍資金である。

 なお特に何をしたという印象のない最終日なのだが、ここでも六本木周辺を長距離徒歩移動したり、新宿界隈をウロウロしたりで結局は2万歩を越えてしまっていた。つまり今回の東京遠征では3日続けて2万歩を越えるというハードなものになってしまい、これは私の体力に甚大なダメージを加えた(異常な炎天下だったことがそれに拍車をかけている)。こういうハードな遠征になった場合、どうしても最終日に極端に行動力が低下するという問題に直面しており(精神に肉体がついていかない)、軍資金のみならず体力の増強も今後の課題であるようである。

 

 

 

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