展覧会遠征 岡山編

 

  さて青春18シーズンも真っ盛り、正直言うとあまりに激しい暑さに夏バテ気味であるが、貧乏人にはそんな贅沢を言っている余裕がない。今のうちに回るべきところを回っておくしかないのである。今回の目的地は岡山である。

 まずは山陽本線を岡山まで移動すると、そこで伯備線に乗り換え、一路備中高梁を目指す。と、ここまで言ったところで私の行動パターンを読み切っている人ならすぐに私の目的地が分かるだろうと思う。そうまずは備中松山城を見学しようという計画である。

 備中松山城は現存12天守の1つで、日本で最も高いところにある天守で知られている。日本の山城のNo1と言われており、重要文化財となっている。高梁は備中一帯を押さえるための街道の要衝であり、昔から多くの勢力の争いの中心となってきたが、戦国時代にこの一帯を治めた三村氏によって一大山上要塞として整備された。なお三村氏は結局は毛利・宇喜多連合軍を敵に回すことになって滅亡したが、その際には5千の三村勢に対して、毛利側は8万もの大軍を投入してようやく攻略に成功したと言われている。その後、何度も城主が転々としつつ明治を迎え、今日に至っているという。

 もはや乗り慣れた感のある伯備線に揺られること1時間弱、備中高梁に到着する。今までこの駅は何度も通過したことはあるが、降りたのは初めてである。駅前に出てみると意外に大きな町という雰囲気。まずは駅のすぐそばの観光案内所に入る。ここから備中松山城に行く観光乗り合いタクシーの予約のためである。

 

      備中高梁駅         街並みはどことなく昭和レトロの空気が

 備中松山城へのアクセスであるが、車で行けるのは麓のふいご峠までで、そこから徒歩で20分ほど登ることになるという。ただふいご峠の駐車場は数台分しかないので、土日曜日には自家用車はさらに麓の城見橋公園の駐車場までしか行けず、そこからシャトルバスでふいご峠まで移動するのだとか。なお私のように車を動かすガソリン代が出せず、列車で来たというような人間のためには、駅前の観光案内所からふいご峠までの乗り合いタクシーが現在運行されている。このタクシーは1日4便で予約、料金は片道420円である。個人でタクシーを使用したなら1000円以上はかかるはずなので、かなりお得になるというわけである。

 とりあえずタクシーを予約すると時間までまだ余裕があるので高梁市内をしばし散策。何となく昭和の雰囲気の漂うのどかさを秘めた町であり、正直なところ私好みの町。ただ日本全国どこでも地方に共通だが、今一つ活気がないのが気になる。

 駅前で朝食にラーメンをかき込むと、到着したタクシーに乗り込む。乗り合いタクシーのはずなのだが、どうやら本日の予約客は私一人だったようである。乗り合いタクシーならぬ貸し切りタクシーになってしまった。それにしても高梁市は街路が細い。いわゆる路地ばかりである。これは防衛上のもので、かつてはさらにあちこちに塀や堀が巡らされたまさに要塞都市だったのだという。これは確かに難攻不落である。タクシーは城見橋公園を通過するとふいご峠への道に入るが、これがまた登りは急だわ、カーブは急だわ、道幅は狭くて車が行き違うことができない幅だわとかなりの難所。どうも週末に自家用車を進入禁止にしたのは単に駐車場の台数の問題だけではなさそうである。運転手の話によると、ここもそもそも営林署が管轄する道路で、高梁市がそれを借り受けているのだとか。急カーブにガードレールがないなんてところはざらで、これは不慣れなよそ者ドライバーがうかつに入り込んだら命にかかわりそうである。

  

登城ルートはなかなか険しい         ご親切にも警告が   

 ふいご峠に到着すると、タクシーの料金を支払って2時間後の帰りの便の予約を入れておく。ここからが徒歩になるのだが・・・さすがに日本一の山城。情けないことに歩き始めてたったの3分で早くも息が上がって気分が悪くなってくる。確かに登りが半端でなくキツイ、しかも私の体調は万全とは言えない。とは言うもののあまりに情けないざまである。とりあえず麓で購入したカルピスで水分&エネルギーを補給しながらボチボチと登っていく。

 

いきなり開ける石垣      こちらは自然の断崖

 苦しみながら登ることしばし、やがて突然に目の前が開けたと思うと幾重にもなった石垣が見えてくる。自然の断崖と石垣を組み合わせた非常に堅固な城砦である。あまりの壮観に思わず絶句する。今は多くの木が生えているが、往時にはこれらの木はすべて切られていたという。となるとまさに城は天上にそそり立っているイメージだろう。それでなくてもとても登れたものでない断崖に囲まれているというのに、その上に遮蔽物もない状態では攻め手は完全に上から狙い撃ちである。これは難攻不落の要塞であったことは容易に想像がつく。なお現在、これらの断崖には崩落の危険がある部分もあり、歪み計測器などが設置されて常時監視が行われているという。

多重構造の石垣はただ圧巻

 石垣群を抜けて登り続けると、ようやく天守が見えてくる。天守自体は二層構造のこじんまりとしたものであり、手前に平櫓がこれは復元されたものを従えており、奥には現存の二番櫓もあり、これらに囲まれている。入場券を購入すると天守の中を見学。2階建てに過ぎないので全体的に小さい印象であるが、そもそもこれだけ標高の高い位置にあるのだから、天守の高さは必要なかろう。それに周辺の建物も合わせると、下から見た時には貧弱な印象は全くない。さすがに日本一の山城と言われるだけの威容である。正直心底感動した。松山城の威容、丸亀城の高石垣にも心を打たれたが、ここもまたそれらとは違った感動がある。正直かなりしんどい想いをしたが、そんな疲れも吹っ飛ぶような気がする。

 それにしてもここまで立派な城であるにもかかわらず、観光客が想像以上に少ないのが意外である。この時は私以外の客は、いかにも城マニアと見えてあちこちを丹念に写真を撮っていた中年男性に、これまたコアなマニアなのか二人揃ってニコンの一眼レフカメラをぶら下げているという強者中年夫婦だけ。どうも普通の一般観光客は私だけみたいである。やはり登城のハードさやアクセスの悪さが問題なのだろうか。

 

 天守自体は2階建てでこじんまりとした印象がある

 城の見学をすませて一休みすると、タクシーの到着時間に合わせてふいご峠まで下る。帰りの乗客も結局は私一人。またも貸し切りタクシーであった。これだと請け負っているタクシー会社には全く旨味がないと思うのだが、観光協会から委託料でも出ているのだろうか? とりあえずこのタクシーの運行期間は今年の11月末までとのことだが、今後も続いてくれれば良いが・・・。

 タクシーで駅まで戻ってくるとそのまま岡山まで直行する。駅を出るとどうやら今日は祭りか何かがあるらしく駅前がかなり賑わっている。祭りには用はない私はさっさとそこを通り抜けると路面電車で移動をする。岡山ではこの遠征の「本来の目的」である美術館を回るのだが、その前に昼食を摂ることにする。

 

   岡山の路面電車はいろいろなラッピングのものがあ

 今回昼食を摂ったのは豆腐料理の店「おかべ」。実はここは本来は豆腐店であり、豆腐店が豆腐料理を出しているという次第。メニューは厚揚げを中心とした「おかべ定食(700円)」と数量限定の「生湯葉丼定食(750円)」があるが、とりあえず生湯葉丼定食を頼む。

 

   豆腐屋に食堂が隣接しているという構造

 生湯葉丼は中華丼的な味付けのところに生湯葉がたっぷり盛ってある丼。これに冷や奴や味噌汁に漬け物などが付いている。味はどぎつさのない非常におとなしい味付け。正直なところ内容は精進料理のようなものであるからあっさりしている。しかしこういうあっさりした料理にすると、湯葉が意外なほどに肉系の味を持っているということがよく分かる。

 

 厚揚げのセットが350円で食べられるとのことのなので、ついでだからこちらも食べることにした。しばらくして運ばれてきたのはまさに揚げたての厚揚げ。なんと衣がサクサクとしている。正直こんな厚揚げを食べたのは初めてである。これは先ほどの湯葉とは違ってこってりした印象。

 私は豆腐にはあまり愛着のない人間だが、それでもやはり豆腐屋の出来たて豆腐だけに豆腐の味は良い。ただ暑さで少々へばり気味のところに豆腐ばかりのメニューは選択としてはあまりベストだったとは言えなかったようだ。少し味に変化が欲しいような気がした。もっと体調の良い時に出直すべきか。

 昼食をすませて店を出ると商店街の方から音楽が聞こえてくる。覗いてみると茶髪の若者が団体で踊っている。どうやら夏祭りのようなもののようである。若者の有り余るエネルギーが暴発しないようにするためには、スポーツなどの何らかの手段でたまにガス抜きをする必要がある。古来はいわゆる祭りがその働きをしていたという(だから地方の古い祭りの中にはけが人が出るような荒々しい祭りも少なくない)。彼らの気合の入った激しい踊りを見ていると、そういったことを思い出さされる。肉体を使う機会が激減している現代の若者は、昔の若者に比べて鬱憤が溜まりやすくなっているのではないか。青少年の非行防止の一環には、地方の夏祭りの復活も良いかもしれない。

 祭りで盛り上がっている商店街を抜けると目的地に向かう。これこそが今回の遠征の主目的である。

 


「千葉市美術館所蔵 浮世絵の美展」岡山県立美術館で8/24まで

 

 千葉市美術館が所蔵する浮世絵の名品を集めた展覧会。鈴木春信らの初期の浮世絵作品から、鳥居清長、喜多川歌麿、葛飾北斎ら有名絵師の作品がジャンル別に分けられて展示されている。

 「富岳三十六景」「東海道五十三次」といった定番どころの浮世絵版画だけでなく、肉筆浮世絵についても結構展示があったのが面白いところ。展示作にはいわゆる定番作品は少なく、意外とマニアックな作品が多かった。また江戸時代末〜近代にかけての浮世絵の流れについても展示されていたのが興味深い。こうして見てみると、いわゆる浮世絵の技法自体は今日でいうところの劇画に一番濃厚に引き継がれているような感覚を私は受けたのであるが。

 個人的には葛飾北斎の肉筆画が展示されていたのと、河鍋暁斎の作品が展示されていたのが一番興味深かった。やはりこの両者は傑出してうまい。また河鍋暁斎の作品は、有名な大和美人図屏風を思わせて非常に面白い作品であった。


「青い煌きウズベキスタン」岡山市立オリエント美術館で8/31まで

 

 ウズベキスタンには、青の都とも呼ばれる世界遺産のサマルカンドなど、シルクロード交易で栄えた年が存在するが、それらの写真や文物を展示した展覧会。

 展示物は陶器から装飾品、衣装など多彩。いかにも異国情緒が漂っており、そういうものが好きな者ならかなり楽しめそう。ただ私の場合は陶器も装飾品も守備範囲外なので・・・。


 これで今回の遠征の主な目的は終了だが、まだ一カ所だけ立ち寄るつもりのところがある。とりあえず伊右衛門で水分を補給すると先を急ぐ。

 岡山まで路面電車で帰るとそのまま快速サンライナーで倉敷に移動する。サンライナーはいつの間にやら専用塗色までされてそれっぽくなってはいるが、車両自体は旧型の117系の4両編成である。2ドアの長大な車体は明らかに混雑路線には不向きの形態である。

 

専用塗色の快速サンライナー      内部は転換クロスシート

 倉敷に到着すると移動である。実はわざわざ倉敷に来たのは「21世紀の地域振興と交通について考える市民の会」としての活動である。この倉敷からは貨物路線を転用した水島臨海鉄道という第3セクター路線が沿海部までつながっており、それを視察しようという考え。

  

 水島臨海鉄道の倉敷市駅はJR倉敷駅のやや西方にある。既にホームには多くの乗客が待っており、利用者はなかなかに多いようだ。数分後に一両編成の車両が到着。水島臨海鉄道は非電化単線路線なので、車両はひまわりをペイントしたディーゼル車。MRT3000型と言うそうな。内部はボックス型クロシートを中央に配し、両端には長大なロングシートを配したセミクロスシート構成。出発時には座席はほぼ埋まる。

 

 やがて列車は重々しく動き出す。沿海地域の貨物路線転用の旅客列車といえば名古屋のあおなみ線を思い出すが、あちらはかなりの資金を注入して電化複線化して駅設備も新交通システムを思わせるような整備をしているのに対し、こちらは古色蒼然としたローカル線の雰囲気を漂わせており、全く路線としての印象は違う。ただ水島臨海鉄道も一部は高架化しており、また路線も直線部が多い線形でありもう少し速度を出せても良いように思えるのだが(この車両自体ももっと速度が出るはず)、運行速度がやけに遅いことが気になるところである。倉敷市駅で満載された乗客は、各駅でバラバラと降りていくというタイプの移動。終点の三菱自工前の1つ手前の水島駅で、なんと私以外の乗客が全員降車してしまう。この路線は三菱自工のための通勤路線だと思っていたのだが、時間にもよるのだとは思うが、水島地方の地域交通の色彩がかなり濃いようである。実際に沿線にも非常に住宅が多い。

 

沿線は住宅が多い      水島駅で車内は空っぽに

 三菱自工前は絵に書いたような沿岸工業地域のど真ん中。駅ではかなり年配の明らかに鉄道マニアだと思われる男性がカメラをぶら下げて待っている。誰も降り立たない駅に、たった一人カメラを首からぶら下げて降りてきた私は、ほぼ間違いなく鉄道マニアだと思われているだろうな・・・ということが頭をよぎる。列車はそのまま貨物線として運行されているはるか西の方まで走っていって、視界のかなたで停止する。折り返しの便が出発するまでには10分ほどある。時刻表を調べてなるべく折り返し時間の少ない便を狙い撃ちにしたのだが、それが正解だったと感じずにはいられない。こんな何もないところで暑い中30分以上も待たされることになれば地獄だったところだ。

 

三菱自工前駅の周辺には本当に何もありません

 先ほどの列車が折り返してくる。乗客は私と先ほどのベテラン鉄道マニア、さらに付近の工場の従業員と思われる男性2名。ベテラン鉄道マニアは最も前方視界が開けているロングシート前端に陣取るが、鉄道マニアではない私はクロスシートにどっかと座り込む。列車は各駅で乗客を拾っていき、最終的には満載の状態で倉敷市駅に到着する。

 この路線は乗客減で苦しんでいるという噂を聞いていたのだが、今回視察した限りでは特別に悪い状況は見られなかった。モータリゼーションの進行で乗客が減少傾向にあるのは地方鉄道路線共通の問題である。この路線の沿線は確かに製造業不況による人減らしでの水島の町の衰退などはあるようだが、それでも人口はまだ十分に多い。またこのままガソリン高騰に対する政府の無策が続いて、自家用車が庶民にとっては高嶺の花という状況に突入すると、この路線が再び見直される可能性もあるだろう。もっともその時には、三菱自工は駄目になっている可能性も高いが。

 この路線にとっての好材料は多分過剰な設備投資は行っていないだろうことか。名古屋のあおなみ線にしても、リニモにしても、収益が極めて悪い最大の原因は沿線のモータリゼーションもさることながら、明らかに過剰に過ぎる設備投資である。最初に巨額の投資を行うことが決まっていて(政治家と業者の癒着がその原因となりやすい)、その辻褄を合わせるために非現実的な利用客数に基づいた収支見通しが立てられる。そして現実の利用客数は計画よりもはるかに少ないので、建設費の借金の金利ばかりが募るというバターンである。この路線についてはその手の経営を圧迫する材料はないだろうと思われる。

 倉敷に到着すると、駅前で「疲れた時の宇治金時ドーピング」をしてから、帰宅の途についたのであった。

 さてこれで現存12天守の内、7天守は攻略した。次は彦根城か。ただそれ以降は、犬山城(愛知)、丸岡城(福井)、松本城(長野)、弘前城(青森)と遠方ばかりである。さてどうしたものか・・・ありゃ?なんか遠征の主旨が変わってきているような・・・。

 

 

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