展覧会遠征 鳥取編

 

 「となりのトットリ、トットリ。トットリ、トットリ。海のそばに昔から住んでる。」

 いきなりのどかな歌が頭に浮かんでしまったが、実は鳥取県は隣の県にもかかわらず、今まで私が一度も踏み込んだことがない県である。というのは隣とはいうものの、やはり今までは特に来るべき理由がなかったというのが正直なところだからである。また鳥取県は人口も少ないが、存在感の薄さも全国トップクラスと言われており、実際にテレビなどでは「鳥取県と島根県の位置を示しなさい」というクイズが「超難問」として関東在住の芸能人を悩ませていたりする(ちなみに関西人にとっての超難問は「栃木県と群馬県の位置を示しなさい」である)。挙げ句が「鳥取」とまともに書かれずに「取鳥県」だの「鳥鳥県」だのと無茶苦茶を書かれたり、果ては隣の島根県と一緒されて「鳥根県」なんて書かれる始末で、とにかくひどい扱われた方をする県でもある(人口が少ないので、文句を言う人間が少ないせいか?)。

 しかしながら、最近になって私の頭の中では、鳥取県というのは非常に気になる県になってきていた。そもそも私が鳥取が気になりだした一番の原因は「特急スーパーはくと」の存在である。阪神地区を新快速でよく移動する私にとって、高速運転の新快速の合間を縫って、ディーゼルエンジンの爆音を立てながら、新快速にも劣らぬスピードで突っ走るスーパーはくとは非常に気になる存在であった。鉄道マニアではないので、車両等にはほとんど興味のない私であるが、その力強いエンジン音とシャープなシルエットにはなぜか惹かれるものがあり、いつしか「この列車に乗ってみたい」という想いが募っていったのである。さらにはこの春に智頭急行線で上郡から佐用まで移動した際、この路線に非常に心惹かれたということも、さらにその想いに拍車をかけていた。

 ただ一番の問題は「鳥取に行くべき理由がない」ということであった。実は鳥取は県立博物館はあるものの、そもそも県立美術館がないという県である。遠征の大義名分が存在しないのである。鉄道マニアではない私としては、「智頭急行線に乗りたい、スーパーはくとに乗りたい」というのは遠征の理由とはなり得ない。これらの理由で鳥取遠征は常に優先順位が低いものとなっていたのである。

 しかしこのたび、県立博物館で前田寛治の大規模な展覧会が開催されるとの情報が入ってきた。「美術展」が開催されるとなれば、これで大義名分は成立である。またこの開催期間は生憎と青春18切符の期間とずれている。となれば普通列車を使わないといけない理由はかなり減少し、スーパーはくとに乗車するべき理由も成立するわけである。というわけで今回、「鉄道マニアではない」私の鳥取遠征が実現したのであった。

 計画は事前から綿密に練られた。その結果、出発はかなりの早朝となってしまった。また往路は普通列車で行くつもりだったのだが、時間の都合で上郡→智頭間はこのルートを通行するもう一つの特急であるスーパーいなばを使用することとした。なお智頭で因美線の普通車に乗り換える。これはその方が特急料金が大幅に安上がりになるからである。

 当日は未明の出発、駅前の駐車場に車で乗り付けると列車を待つ。特急スーパーいなばはキハ187系の2両編成。振り子機能を持つ高性能ディーゼル車である。このタイプの車両は山陰線のスーパーおきなどにも投入されているが、スーパーいなば用の車両はさらに高性能改造してあるらしい。内部は回転式クロスシートになっているが、上郡でスイッチバックするためか、クロスシートをボックス型に初期設定してあった。この時期にこの時間のこの便が満席になることはなかろうと予測していた私は、自由席のチケットしか確保していなかったのだが、予想通り車内はガラガラ。ボックスの1つをまるまる確保できた。

  

スーパーいなば                車内風景   

 上郡→佐用間は列車は山間の田園地帯を高架で走り抜けていく。高架から眺める風景が非常に綺麗なのだが、スーパーいなばの車窓は遮光ガラス(遮光フィルム?)になっているのか、風景がややぼんやりした感じでしかみえないのが残念。また現行のディーゼル車の中ではこのスーパーいなばのキハ187系はほぼ最速と聞いていたのだが、高速対応している智頭急区間の線路が良いのと、この列車の乗り心地が滑らかなせいか、不思議とあまり高速感がなかったりする。

 どうしてもぼんやりと見えてしまいます

 姫新線との合流点である佐用を抜けると、いよいよ私にとっての未踏破地域である。この辺りから路線は山間部に深く入っていき、辺りも山里の風景となっていく。トンネルを抜けつつ大原に到着すると、ここは岡山県。そこからあわくら温泉を抜けてさらに長いトンネルを抜けて智頭に到着。ここは既に鳥取県になる。

「山を飛び、谷を越え、こちらの町にやって来た。トットリ県にやって来た。」

 例によってつまらぬ歌ばかりが口から出てくるが、実のところは感無量だったりする(にんともかんとも)。とりあえずこの智頭駅で因美線の普通に乗り換える。なおここは智頭急行の終着駅であり、JR線のすぐ脇に智頭急行線のホームがあるので、智頭で折り返しの列車はそちらに入線するようである。乗換えまで時間があるので一旦智頭駅の外に出ることにする。

  

  JR智頭駅舎           智頭急行の駅はホームの向こう側

 まだ早朝なので駅前は閑散としているが、雰囲気としては「観光に力を入れている山村」というところ。何もない田舎というわけではないが、まだ都会化していなくて適度に鄙びた雰囲気があるのが私の感性にマッチ。ここはいずれ再訪することになりそうな予感を抱く。

 しばらくするとかなり大型の車両が入ってくる。この車両はキハ40系といって、旧国鉄時代からの遺物らしい(私は鉄道マニアでないのでよく分からない)。内部はセミクロスシートであるが、ロングシート部分がかなり多い変則的な構成。いかにも重量級車両というイメージで動きに鈍重さがある。この列車は智頭で多くの高校生を乗せて発車、さらに先々の駅で高校生はドンドン増えていく。どうやら通学の足としての需要が高いようで、朝の時間帯のせいか、土曜日にもかかわらず乗客は多い。智頭以北の因美線は高速対応の工事を行ったと聞いているが、それでも線形の悪いところが多く、やはり智頭急線に比べると列車の運行には制約がありそうである。山間から開けた平地に出て、しばらく走るとやがて郡家に到着する。

  

 ここまで来ると鳥取駅は目の前なのだが、まずはその前に寄り道して「21世紀の地域振興と交通について考える市民の会代表(自称)」としての活動である。実はこの郡家からは若桜まで若桜鉄道という第3セクター路線が運行されている。この路線の母体は、そもそもはJRの若桜線であり、建設当初は郡家から八鹿を接続するという壮大な計画を掲げていたようであるが、当然のようにそれは頓挫。若桜まで開通して運行されていたのだが、赤字路線として廃止されることになり、地元自治体が第3セクターを設立して引き取ったのである。しかしこの若桜鉄道は、沿線の過疎化の進行によって赤字続きの上、昨今の低金利のせいでついには設立時に積み立てた基金が枯渇寸前になっているとのこと。つまりは存亡の危機に瀕しているわけである。と言うわけで、ここはやはり現状視察が不可欠との判断である。

 若桜鉄道1日乗車券

 郡家で若桜鉄道の車両に乗り換えると車内で1日乗車券を購入する。若桜鉄道は3両のWT3000型と1両のWT3300型を保有しているとのことであるが、私が乗車したのはWT3000型とWT3300型を接続した2両編成車両。これらの車両はいずれもワンマン運転用の車両であるが、それを連結しているようである。なお内部はWT3000型のほうが固定式ボックスシートを中心としたセミクロスシート構成、WT3300の方は転換式クロシート車両である。とりあえず先頭車両であるWT3300に座席を確保する。

  

こちらはWT3000           WT3300車内

 やがて鳥取方面から列車が到着すると、高校生が大量に乗車してくる。それらの高校生は全員、次の八頭高校前で下車。どうやらこの路線はこの一駅だけの乗客がかなり多いようで、後は途中で数人の乗り降りはあるが、閑散とした状態で若桜まで走る。なお沿線風景は山間の平地であり、田んぼの中に小さな集落が見えるというよくある日本の原風景である。

 のどかな風景

 若桜には30分ほどで到着する。若桜駅は構内に蒸気機関車時代の吸水設備や引き込み線があり、また最近になって蒸気機関車のC12 167が設置され、圧縮空気を用いてのデモ走行が定期的に行われているとのこと。

  

  若桜駅舎                SLと給水設備

 到着した列車は6分で折り返すので、手早く周囲をチェックすると直ちに車両に戻り、今度はWT3000の方に乗車する。往路と違って復路のほうは鳥取に向かうと思われる現地の高齢者を中心とする乗客が多く、途中の駅からも結構の乗客がいたのだった。

 さて若桜鉄道であるが、その将来性について考えてみるとかなり見通しは暗いというのが本音である。地元民の足として特に高齢者中心に需要があるようであることを考えると、残すべき路線であるとは思うのだが、その方策が見えない。地元の自治体が支援するにしても、沿線風景からも明らかなように過疎化の進行は深刻で、地元自治体の体力はかなり衰退していることが推測される。また観光路線として考えた場合、若桜に特に何もないというのは致命的である。それを感じているからこそSLを持ってきたのだろうが、所詮は鉄道マニア対象だけでは絶対数が限られるし、基本的に彼らはあまり同一場所にリピーターしないので、乗客数増加への影響はしれているだろう。また若桜鉄道全線をSLが煙を吐きながら疾走するというのならともかく、200メートルほどの構内線を 圧縮空気動力でイベント走行するだけというのはやや寂しい。やはり鉄道マニアだけでなく、私のような一般人をも引き寄せるような材料が欲しいところ。

 若桜の観光資源としてはスキー場があるようだが、そのスキー場へのアクセスはバスになるみたいだし、そもそもそのバス路線が鳥取から若桜鉄道に沿う形に走っており、そのことがこの路線の将来にさらに暗い影を投げかけている。さらに沿線風景は山でも川でもなくあまりにありふれているので、沿線風景を売りにするわけにもいかないというつらさもある。またダイヤ構成を見ても、高校生の通学を意識してか、朝夕こそ1時間に1本程度の運行があるが、観光客がもっとも使い勝手の良い9時から11時ぐらいの午前の時間帯に運行がほとんどないのは致命的。また最寄の大都会として鳥取との接続を最優先しているのは分かるが、そのツケで山陽方面からの接続は極めて悪い。実は私が今回、わざわざ早朝のスーパーいなばに乗車してまでこのような早朝にこの地を訪れたのも、これ以降の列車だと郡家で1時間近くも乗り換え待ちを余儀なくされるという惨状であるからである。

 以上のもろもろの材料を考えてみると、残すべき路線であるという想いとは裏腹に、消え行く路線なのではないかとの予感が強まってしまうのである。沿線風景になんとなく三木鉄道との類似性があったことが、その不吉な予感をさらに強めてしまっている。

 郡家から鳥取までは10分ちょっとの距離。若桜発の列車はそのまま鳥取まで乗り入れており、私もそのまま鳥取まで移動する。鳥取駅で降り立つとコミュニティーバス「くる梨」に乗車。10数分走ると正面に山と石垣が見えてくる。このあたりはそもそもは鳥取城の領域である。目的地はその中にある。


「前田寛治のパリ」鳥取県立博物館で6/22まで

 鳥取出身の前田寛治は、パリに留学して当時の最先端の絵画表現を研究し、帰国後は自らの絵画理論に基づいた独自の絵画展開で、多くの日本人画家に影響を与えたという。その前田寛治のパリ時代の作品を中心とした展覧会である。

 前田寛治と同時代にパリを訪れた日本人画家は多々いたが、彼らは大抵はフォービズムやキュビズムにかぶれてその影響を受けている。前田寛治もその例外ではなく、一渡りのこれらの影響を受けたようではあるが、比較的に早い段階からその影響を脱して、クールベなどの研究の方向に向かったとのことである。

 とは言うものの、彼の作品には形態の単純化などが見られており、単純な写実主義とはまた異なるようである。また明確な色遣いはフォービズムの影響のようにも見えるのだが、彼自身はフォービズムにはあまり共感を持たなかったとか。セザンヌの絵画の影響が見られるとの解説もあったが、私的にはこれが一番納得のいくところ。

 彼の代表作は大抵は人物画なのであるが、支援者などへのおみやげとして書き流したと言われている風景画の方がむしろ自然に見えて馴染みやすかったりする。彼自身が生前に「絵画の研究の成果として取り組んだ人物画の方が売れ残ってしまう」とこぼしていたとの話であるが、それもさりなん。


 美術展を鑑賞した後は、鳥取城の石垣を見学することにする。鳥取城は典型的な山城で、山頂に戦略的要である天守があり、ふもとには天守への道を守るように石垣で防衛された屋敷が存在するという構成になっていたという。しかし江戸時代以降は天守が必要なくなったので、麓の屋敷で政務が取られるようになり、天守は落雷で炎上したまま放棄され、屋敷類も明治になって解体されて今日には石垣が残るのみとなっている。

  

鳥取城石垣遠景                  近景  

 

 しかしこの山の斜面に沿って多層構造になっている石垣がなかなかにして美しい(現在は公園となっている)。山頂の天守と連動しての守備はかなり強固であったろうと往時の姿をしのばせる。なお山頂の天守跡に登る石段は残っているようだが、私は体力に自信がないのでそれはやめにしておいた。

 鳥取城の見学を終わらせるとバスで次の目的地に移動。やはり鳥取に来たからには砂丘は見ておこうという考えである。バスで終点の砂丘会館で降りると、砂丘はすぐそこである。しかしこの頃になると朝食抜きがこたえてかなりの空腹。砂丘に行く前にまずは昼食を摂って腹ごしらえをすることにする。

 今回昼食を摂ったのは砂丘の近くにある「鯛喜」。漁師料理の店と看板に書いてあるが、まさにその通りの店であり、海の幸を満載した海鮮丼で有名である。ただ店構えはまるっきり海の家みたいで正直みすぼらしい。これは事前情報がないとなかなか入る気にならないであろう。

 まるっきり海の家

 ここの名物の海鮮丼は、標準の1000円のものから、かに、マグロなどが加わったちょっと豪華版1300円、いくらも加わった豪華版1600円、さらにウニまで加わったとっても豪華版2000円などのランクがある。私が注文したのは1300円のもの。さらに何かお勧めがないかを聞いたところ、岩牡蠣が入荷しているとのこと。そこで岩牡蠣の大(700円)を合わせて注文する。

  

プリプリの岩牡蠣           海鮮丼のこのボリューム

 近海で取れた魚をこれでもかとばかりにてんこ盛りにした海鮮丼はなかなかのボリューム(盛り合わせの魚は日によって変わるとか)。またさすがに魚の鮮度も良く、かなりCPの高さを感じさせる。また岩牡蠣も肉厚のプルプルの身が楽しませてくれる。この夏の時期に牡蠣が食べられるとはなんたる至福。海産物系にはうるさい私でも納得の一品。思わず顔が緩む。

 サザエのつぼ焼き300円也

 空腹のため海鮮丼を一気に完食したところで、さらにサザエのつぼ焼き(300円)を追加注文。これまたかなり大きな貝が出てきて、またもCPの良さを感じさせる。さすがに漁師の町、海産物には事欠かないようである。これだけ腹いっぱいに海の幸を堪能して2300円。納得の昼食であった。

 海の幸を堪能したら砂丘見学である。しかし砂丘に踏み込んだ途端にいきなり戸惑う。「足が沈む・・・」鳥取砂丘の砂はかなり細かく、私のような重量級の人間が二足歩行すると足が沈んで非常に歩きにくいのである。かつてダグラムが砂漠において機体が砂に沈んで身動きが取れず、砂漠戦用に開発された6本足のコンバットアーマーを相手に大苦戦をしたという故事を思い出す・・・って、ごく一部のマニアな人にしか意味が分からないであろう喩えで申し訳ありません。

 目の前に広がる巨大な砂の丘は、正直なところこれが日本とは信じがたいような光景である。隣に観光用のラクダがいることがさらに違和感を増幅させる。とは言うものの、こんなところで立ちつくしていても仕方がない。とにかく目の前に見える馬の背まで歩いていくことにする・・・のだが、これがとんだ難行苦行。それでなくても足が沈んで歩きにくいのに、この馬の背が意外に急斜面。しかもかなり強い海風は吹き付けてくるし、すぐに息が上がってしまう。砂の中の5000歩は、平地の1万歩並の疲労が来るようである。

 馬の背はかなりの急斜面

 

 砂嵐がわきあがる

 フラフラになりながらもなんとか馬の背を登り切ると、眼下に海岸線が見える。今日はかなり風が強いせいか、寄せてくる波の波頭が白く泡立っており、まさに東山魁夷の絵画の世界であり、思わず感動する。

 しばし風景に見とれるが、さすがに10分も眺めているとやはり飽きてくる。海岸線まで降りようかという考えも一瞬頭をよぎったが、この急斜面をまた登って戻ることを考えるとゾッとしてやめにする。ここは素直に帰ることにする。

 帰りの行程もまたも難行苦行であった。入り口付近に到着する頃にはすっかり固い地面が恋しくなってしまっていた。ようやく舗装道路に上に出たと思えばやけに足が重い。どうやらかなり砂が靴の中に入ってしまった模様。そこで靴を脱いで砂を出そうとするが、ほとんど出てこない。驚いたことに砂は靴の中ではなく靴下の中に入り込んでいたのである。砂の粒子が細かすぎて、靴下の編み目を通って中に入ってしまったらしい。恐るべし鳥取砂丘。なんとなく砂漠戦では電子装備が故障してしまうという理由が分かったような気がしてしまった。

 砂丘の見学をすませると、砂丘会館でみやげものを購入。バスで次の目的地に移動することにする。


渡辺美術館

 鳥取砂丘へと続く道の途中にある個人美術館である。収蔵品は鳥取藩ゆかりの絵画から、陶器などの古美術、さらには古民具に至るまで非常に幅広い。またこの博物館の最大の売りの一つになっているのが「日本屈指の甲冑軍団」。確かにかなりの数の鎧兜が展示されている。

 広いフロアに種々雑多な品々がずらっと並んでいるのは、ある意味では壮観ではある。特に古美術のマニアならヨダレものの珍品などもあると思われる。とは言うものの、そのような目利きが全く出来ない私にとっては、ほとんど何の説明もないままに並べられている展示品の山は、圧倒はされるものの何のことやらさっぱり分からないというのが正直なところ。もう少し展示に工夫が欲しいところ。


 これで本日の予定は終了してしまった・・・・のだが、まだこの時点で午後2時。帰りは午後5時のスーパーはくとの指定席を取っているので、まだ3時間もある。これは全く予想外だった。まさかここまで鳥取での予定がサクサクと終わると思っていなかったので、この後のプランを全く考えていなかったのである。結局は当てもなく鳥取駅前の繁華街をうろつく羽目になってしまう。それにしても鳥取前の商店街は飲食店の比率が非常に高いようで、まだ昼のこの時間にはほとんどが閉まっていて閑散としている。なんとも奇妙な構成の商店街である。

 フラフラとしている内に、やがて「温泉町」という標識のある一角に到着する。鳥取は市街地の真ん中に温泉が湧いているという話は聞いていた。時間は十二分にあるし、ここは入浴していくべきなのは当然である。そこで目の前に見えた「日の丸温泉」という温泉銭湯に入ることにする。

 懐かしいたたずまいの温泉銭湯

 内部は懐かしい下駄箱に番台がある典型的な昔の銭湯。脱衣所に牛乳が売ってあったりするところがいかにも心得ている。海が近いせいか泉質はナトリウム塩化物泉。ただ驚いたのは異常に湯船の温度が高いこと。江戸っ子が熱湯好きだとは聞いていたが、鳥取県人も熱湯が好きなのか。足先から少しずつ入っていき、身体を徐々に慣らさないととても入浴できない温度。それでも一日中シートとリュックですれ続けていた背中がヒリヒリと痛み「私はカチカチ山の狸か!」という声が思わず出る。おかげで歩き回った汗は流れ(熱湯に入った後はかえって涼しくなる)、また眠気も吹っ飛んだが、あまり私向きの入浴スタイルではないようだ。

 入浴をすませ(当然のようにコーヒー牛乳を一本一気飲みして)ると銭湯を出て、再び繁華街をウロウロ。喫茶店に入って宇治金時ドーピングをしたり、民芸博物館をのぞいたりなどをしながら時間をつぶすと、列車到着時間に合わせて鳥取駅のホームに入る。

 やがて倉吉発のスーパーはくとが入線してくる。これぞ智頭急行が誇る看板列車である。なおよく間違われるのであるが、このスーパーはくとのHOT7000型車両は、JRではなく智頭急行が所有している車両である。強力なエンジンを搭載し、振り子機能も有しており、山間の急カーブ・急勾配区間を高速で突っ走るために設計された車両である。最高速度は130キロ(将来的には160キロにも対応可とのこと)で、そのシャープなシルエットは、かつての鈍重なディーゼル車のイメージを払拭して、いかにも「速そう」な印象を抱かせる。

  

スーパーはくとの雄姿              車内風景  

 甲高いエンジン音を響かせると列車はゆっくりと鳥取駅のホームを離れ、次第に加速していく。車窓の風景が吹っ飛んでいく、加速性能はさすがなようだ。因美線のカーブ区間にさしかかると車体を倒して高速で通過する。乗り心地が若干ゴツゴツした感じがあるせいか、往路で乗車したスーパーいなばよりもスピード感がある。これがスーパーはくとか・・・。以前から乗りたいと思い続けてようやく念願叶ったわけであり、万感の想いがある。なお何度も繰り返しているように「私は決して鉄道マニアではない」ので、列車車両に対しての思い入れも知識も皆無なのであるが、この列車だけは別である。

 さて快適な特急走行を楽しみつつ、ここで取り出したるは今日の夕食である。鳥取で食べてきても良かったのだが、昼食をしっかり摂ったせいかあまり腹が減っておらず、結局は鳥取駅で駅弁を買い求めることになった(ちなみにスーパーはくと車内は車内販売がない)。今回買い求めたのは「元祖かに寿し(980円)」。カニは本来は季節ものだと思うのだが、現代は冷凍技術の進歩により、年中生産されているようである

  

 味的には非常にオーソドックスな印象。ただ私の好みから言えば少々甘みがきつすぎるような気がする。どちらかと言えば、もっとさっぱりした味付けの方が良いように思われるのであるが。

 スーパーはくとは快調に山間部を通過していく。高らかなエンジン音は「うるさい」と感じる人もいるだろうが、私には快適である。往路では普通列車でかなり時間をかけて通過した郡家→智頭間を一気に通り抜け、そのまま智頭急線突入、上郡に到着するまではあっという間であった。名残惜しいがここでスーパーはくととお別れである。

 スーパーはくとを見送る

 以上で今回の鳥取遠征は終了である。何やら盛り沢山だったのだが、結局は何をしに行ったのかよく分からない遠征になってしまった。やはりもう少し遠征の目的とコンセプトをハッキリさせておくべきであっただろうか・・・。

 

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