展覧会遠征 京都編

 

 青春18シーズンも終了。これからは関西おでかけパスを使った地味な近場の遠征が主になる時期となる。まずは久しぶりに京都へと出向くことにする。お定まりの新快速で一気に京都へ。最初の目的地は駅の中である。


「鏑木清方の芸術展」「えき」KYOTOで1/27終了

 美人画で知られ、日本画の大家と言われた鏑木清方の展覧会。出展作品は主に鎌倉の鏑木清方記念美術館の所蔵品と、弥生美術館が所蔵する出版関係の所蔵品。

 清方は最初はいわゆる挿絵画家の仕事をしており、その頃の版画作品などが展示されているのが本展の最大の特徴。版画作品ということもあり、この頃の作品には過去の浮世絵の影響が顕著である。後に彼は日本画家として名を知られるようになるが、人物画が中心であり美人画家のイメージが強い。本展で展示されている「朝涼」は代表作である。

 恥ずかしながら、私は清方のそのような経緯は全く知らなかったのだが、初期の版画の頃から彼の表現力の高さは明らかであり、それが後の美人画での表現にそのまま直結しているようだ。特に「朝涼」の日常生活の一コマ切り取ったようでいて、非常に美しい表現は彼の独自のものである。


 次はバスターミナルまで降り、とりあえず市バスと地下鉄の1日乗り放題券(1200円)を購入する。正直なところ元が取れるかは微妙なのだが、乗り換えの度にいちいち支払うのも面倒くさいとの考えである。やはり京都の移動はバスと地下鉄に限る。そもそも牛車と徒歩のために作られた都は、自動車なんて無粋なものの使用は想定されていないのである。京都も本格的に自家用車の流入規制を検討すべきではなかろうか。

 チケットを購入したのでバスで次の目的地に移動。本来なら100系統の洛バスに乗るところだが、混雑していた(この系統のバスは常に混む)ので206系統のバスに乗る。こちらのバスの方が若干の回り道になるが、あの醜悪な京都駅ビルをまともに見なくてすむというメリットがある。あの最低なビルは見るたびに日本人としての魂が汚される気がしてならない。早くガメラに破壊してもらいたいところである。


「憧れのヨーロッパ陶磁」京都国立博物館で3/9まで

 異国の文物が憧れを呼び起こすのよくあることだが、陶磁の世界においてはヨーロッパと日本が遠く海を隔てて影響を及ぼしあった。日本では酒や薬の容器として入ってきたヨーロッパの陶器が日本の陶芸に影響を与え、ヨーロッパでは中国の景徳鎮に代わって輸入されるようになった伊万里が各地の陶器に影響を与えた。特に19世紀末に花開いたアール・ヌーヴォーはジャポニズムの影響が顕著である。そのように日本とも関わりの深いヨーロッパ陶磁器について展示したのが本展である。

 工房ごとに分類しているので、陶磁器に関しては素人の私から見ても、各社の性質の違いが分かって面白い。セーヴルの深くて光沢のある青や、マイセンの精緻な細工は素人の私にも美しい。

 しかし個人的に最も面白かったのは、西洋の陶磁器を真似て日本で製造された作品や、明らかに日本調の絵柄を入れたヨーロッパの陶磁器。和洋折衷のゲテモノが好きな私には、こういう作品は一番のツボである。草の根での文化交流を思わせて非常に興味深い。


 次の目的地に移動するために100系統のバスを待つ。今日の京都はたまに雪がちらつくような寒さ。しかし京都の美術館に来るなら真冬か真夏しかないというのが私の経験則。残念ながら春や秋の季節の良い頃は、観光客が多すぎてまともに移動さえ出来なくなるのである。特にこの100系統のバスなどは途中から乗車することなど絶望的な状態になってしまう。しばらく待った後、バスは予定の時刻より若干遅れて到着する。

 

 バスから降りた時には既にお昼過ぎ。今日は朝食抜きで京都に駆けつけているので、大分空腹が身にしみ始めている。とりあえず美術館の前に昼食を摂ることにする。本日の昼食は平安神宮の東側にある「グリル小宝」。いわゆる洋食屋である。人気があるのか私が到着した時には先に待っている客がいたが、私が一人だった都合ですぐに席に着くことが出来た。注文したのはランチ(1800円)。

  

 ハンバーグにエビフライにトンカツというオーソドックスなランチ。盛り合わせとしてはファミレスのメニューみたいだが、違うのは味の方か。この店はデミグラスソースが有名と聞いたが、ハンバーグにかかっていたのはやや苦みのあるコクの深いソースである。しかしソースより印象的だったのが、このハンバーグにナイフを当てた途端に肉汁が大量ににじみ出てきたこと。脂っこいように見えるが、案に反して意外にさっぱりしておりうまい。トンカツについてはいかにも洋食屋のトンカツというところで、トンカツ屋のトンカツに比べて衣の味が濃い。

 典型的な町の洋食屋さんというパターンで、神戸の十字屋や金沢の自由軒を思い出してしまった。味としてはまずまずなので、人気のあるのも納得。ただ一品メニューは2000円以上が中心なので、価格としてはやや高め。これも場所柄か。なお800円でかなり大きなオムライスもあるようなので、CP重視のむきはこっちを選択するべきか。

 

 昼食をすませてブラブラと帰り道、ちょうど観峰美術館の前を通りかかる。この美術館は書道系の美術館なので、通常は私には全く対象外なのだが、現在はネパール美術について展示しているとの案内が出ている。何やら興味が湧いたので立ち寄ることにする。


「ネパール美術」観峰美術館で2/11まで

 仏教がインドで発祥した後、ヒンズーの台頭によってインドからは初期の仏教はほぼ駆逐されてしまったが、その一部がネパールの地に生き残って今日にまで続いている。ネパールにおける仏教は、日本のような専門の僧が取り仕切るような形態ではなく、より民衆に近い民間信仰の形態であるという。そのようなネパールでの仏画や彫刻が展示されている。

 この地の仏教はかなり独自の進化を遂げたのは仏画を見るだけでも分かる。ネパールにはヒンズーも入ってきているのだが、なんとなくその影響が見て取れるのである。実際に仏画などは日本や中国で見かけるいかにもありがたいイメージではなく、いかにも生々しいというか、はっきり言って艶めかしい。このような表現は多分にヒンズーの神々に見て取れる特徴でもある。

 一方でこういう仏画を見ると、やはり仏教もそもそもはインドの宗教だったんだなという妙な感慨が湧く。日本の仏教がいかに中国文化や日本文化でリファインされているかが逆に感じられるのである。これは興味深い。


 観峰美術館を出ると平安神宮に立ち寄る。よくよく考えてみると、今まで平安神宮の近くには何度も来ているにもかかわらず、中に入ったのは初めてだった。寒さのせいか、内部は意外に閑散としていたが、アジアかららしい団体客が結構来ていた。それにしても最近は以前に比べてアジアからの観光客を見かけることが多くなった(私には中国語と朝鮮語の区別がつかないので、どこから来ているのかは判断できないが)。

  

 手早く平安神宮の参拝をすませると、次の目的地となる。


「玉村方久斗展」京都国立近代美術館で2/17まで

 京都出身で東京で活躍したという日本画家・玉村方久斗の作品を展示した展覧会。彼は伝統的な日本画から離れて、立体造形に手を出したり、前衛活動も行ったという。

 そもそもから、荒々しく大胆に描かれている彼の絵画は、その初期から伝統的日本画とは少々離れた位置にある。ここでの単純化された表現を見ていると彼が後に前衛に走るのも理の当然に見えてくる。もっとも私の目には、単なるあまりうまくない絵にしか見えなかったのが本音なんだが。


 次の目的地に移動なのだが、今朝は朝食を抜いていたせいか、まだ腹が少々軽い。先ほどブランチを摂ったところなのだが・・・。そこで三時のおやつにすることにする。以前にも入ったことのある京菜家でうどんを・・・って、何でおやつにうどんなのかという細かい疑問は置いておいてください。

 今回注文したのは「スッポンうどん」(1780円)。実を言うと貧民の私はスッポンなどと言う食材は初めてである。見た目は鳥と魚のあらの中間のような印象。で、食べた印象も鳥と魚のあらの中間(笑)。ただ魚のあらだと絶対に骨があるはずなのだが、これは骨がなくて全部食べられる。骨のように見えたものはどうやらコラーゲンの固まり。なんとも初体験の奇妙な食感であった。また一度スッポン鍋でも食いに行かないと・・・って、そんな金はどこにもねえ!

  

 十二分に凝ったダシに柔らかめで細めのうどんが入っているというタイプで、讃岐うどんとは対極にあるうどん。こういううどんはお出汁が命なので、これを最後まで飲み干すのが常識・・・少々腹が重たくなってしまった。

 

 さて腹が膨れたところで次の美術館となるところだが、ここで寄り道をすることにする。私は今まで二条城に行ったことがなかったことを思い出したので、一度ここに立ち寄ろうと思った次第。美術館は大抵は5時までは開いているが、この手の施設は4時までのところが多いので、こちらから先に行くべきだろうと判断した(現在は3時前)。遠征においては常にこういった臨機応変な行動も必要となるのである。

 地下鉄東西線の二条城前で下車すると、二条城は目の前にある。入場券を買い求めると国宝の二の丸御殿から見学。将軍上洛時の居城として使用されていた二条城は、当然ながらその装飾は御用絵師の狩野派一門が手がけている。建物の作りは先日に訪問した金刀比羅宮の書院に類似しているが、規模があれよりも大きいのと、装飾類が権威を象徴するものであるので派手な傾向がある。金刀比羅宮書院の装飾が理知的で深い精神性を感じさせる部分があるのと対照的である。当然ながら、同じ虎を描いても円山応挙のやや愛嬌のある虎と違って、こちらの虎は威圧感を与えるもの。また透かし彫りの彫刻などことごとくが派手な印象。

  

国宝二条城二の丸御殿

 二の丸御殿を一周した後は(周回ルートは450メートルもあるとか)、二条城内を見学。本丸御殿については耐震強度の問題があって(別に一級建築士が強度偽装したわけではないが)、現在は公開していないとのこと。なお清流園なる庭園もあるが、このシーズンはどうしても風景が寒々とする上に、京都の庭園は背後にビルが見えるのが致命的。やはり借景まで計算に入れて、周囲の開発に歯止めをかけている足立美術館の庭園のようなわけにはいかない。つくづく景観保護にまともに取り組めなかったのが京都の悲劇だと思う。あんな国辱的建築物である駅ビルが建ってしまった後には、もう何を言っても後の祭りだが・・・。

 二条城見学を追えた頃には日は既に西に傾いている。地下鉄にとって返すと烏丸御池まで移動。ここが今日の最後の目的地である。


「川端康成と東山魁夷」京都文化博物館で2/24まで

 文豪・川端康成は日本画の巨匠・東山魁夷と個人的な親交があり、東山に自身の著作に対する挿絵などを依頼したのみならず、彼から寄贈された絵画なども所蔵していたという。また川端自身が絵画に対して関心の高かったことから、東山以外にも多くの画家との親交もあり、彼自身がその鑑識眼に基づいて多くの作品を所蔵していたとのことである。本展は川端康成記念館が所蔵する東山作品やその親交を物語る書簡、さらに東山作品以外の川端コレクションを展示している。

 さて東山作品だが、川端が所蔵していた作品はスケッチや小作品が多かったことから、これだけでは展覧会として弱いと考えたのか、山種美術館所蔵品や北沢美術館所蔵品などで補強してある。ただ残念ながらいずれも私にとっては「以前に見たことがある絵」である。やはりマニアなら、東山が手がけた書籍の挿絵などを楽しむのが筋なんだろう。東山のスケッチなどは以前に別の展覧会で見たことがあるのだが、あの緻密な本画と異なり、自由な精神で即興的に描かれており、この画家の違った一面を見せるものなのである。


 これで本日の予定は終了。後は帰るだけなのだが・・・。ここで妙な野次馬根性が湧いてくる。私は以前から京都の地下鉄東西線はよく利用しているが、決まった区間しか乗ったことがない。この度、東西線は太秦天神川まで延伸されたとのことだし、どうせ1日乗車券を買ったのだから、一度この東西線の両端を見てきてやろうという無意味な好奇心である。

 実に馬鹿げた行動なのだが、私は「終着駅」という言葉に弱いのである。人生の終着駅などと言うと、そこで人生が終わってしまうことになるが、私は終着駅という言葉からは、次にそこから新たに始まる旅を連想させられるのである。つまり終着駅という言葉は私にはそのまま再生を意味するわけである。

 てな意味不明なことを考えながら、私はまずは太秦天神川を目指す。それにしても地下鉄の駅はあまりにバリエーションがない。駅名表示がないとどこか分からないぐらい。これだと酔っぱらいなどは降り間違いそうである。

 太秦天神川駅の改札を出ると、そこはまだ工事中であった。近くを嵐電が走っており、京福電鉄では新駅を作る予定だとのことで、多分そこに接続するための地下通路なのだろう。

  

地下改札の外は工事中          地上に出てもやはり工事中

 嵐電はこの付近では路面鉄道であるが、全体で見ると専用軌道の部分が多く混在しているらしい。ちょうど広島の広電と似たような構成か。来たついでに現在の最寄り駅である蚕ノ社駅をのぞきに行く。で、ここまで来てしまうと、鉄道マニアではない私ではあるが、やはり列車が来るのを待とうかという気が起こってくる。ただ気がかりは既に日が沈みかけていること。写真撮影には不都合なコンディションである。

 数分後、一両編成の列車がやってくる。いかにも郷愁を誘う電車である。そう言えば私は関西に住んでいるくせに嵐山も行ったことがなかったっけ・・・嵐山に何か美術館ってあったっけ?

 懐かしいタイプの路面電車

 さて駅に戻ると、今度は反対側の端に移動である。六地蔵まで30分ぐらいの地下の旅。地下鉄の難点はなんと言っても変化が全くないこと。神戸地下鉄は名谷で、大阪地下鉄御堂筋線は西中島南方などから地上に出たりするが、京都地下鉄は最初から最後まで延々地下という非常に禁欲的な鉄道である。実用本意に徹した地下鉄はやはり面白げがない。こんなものにわざわざ乗っている私は、やはり鉄道マニアではなくて単なる野次馬である。

 六地蔵駅に到着。とりあえず地上を確認するがもう真っ暗であった。JRの六地蔵駅はそこに見えるが、どうやら京阪の六地蔵駅は結構遠いらしい。実に何もないところ。鉄道マニアでない私が京阪の駅を確認に行く必要もないし、後は山科にUターンして、新快速で帰路についたのであった。

 

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